前回の二股古墳からは西に400m近く離れた尾根筋の八畳岩古墳(操山19号墳)へ。
園路沿いに露出する石室を奥壁側から。
奥壁の斜め前あたりから。
説明板とともに。
八畳岩古墳
操山山塊の主稜線上に築かれている横穴式石室墳の一つで、墳丘の大部が流失しているが、本来は直径15m・高さ3m程の本格的な円墳であったと想定される。遺骸を葬った石室は左袖形で全長9mを測り、遺骸を安置した玄室が長さ5.5m・幅1.6m・高さ1.6mであり、中型規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定され、山塊の北に住んでいた党委の有力者の家族墓と考えられる。石室の天井石に巨大な石材を使用しており、露出したその大きさが古墳の呼称となった。
側面から。
羨道の正面側は埋まっています。
側面の石が外れたところから石室内部へ入って奥壁側を。
大きな天井石を支えている箇所は「面」でなく「点」?
奥壁を背にして羨道方向を。右奥の開いたところから入りました。
八畳岩古墳のすぐ南側に、操山20号墳が残っています。
草むらから頭を出している巨石。
回り込むと開口部。
かがんで入れる高さでした。
奥壁を背にして。
20号運を後にして園路を西に進んだ左手の、マップ上の18号墳の印のあたり。
ここも巨石がゴロゴロしていましたが、石室かどうかは判りませんでした。