”しんいち”歴史民俗博物館で福山市の石室の数々に圧倒された後は南に2.3㎞、芦田川の南の丘陵南の谷戸に立地する曽根田白塚古墳を訪ねた。
マップのピンを目指していくと道路脇に標柱があった。
左の民家の右側が墳丘へのルートでした。
その位置から左手の西方向。谷戸の奥側です。
進んでいくと分岐に標柱が。
曽根田白塚古墳の標柱の解説。
7世紀の古墳で周囲に古墳はなく、独立した形で、丘陵の頂上付近に築造されている。墳丘は、径約9mの円墳である。出土遺物は知られていない。
後ろの標柱にはここから徒歩10分との記載。
幅広の山道だが、落ち葉が深く要注意。
登った先が開口部。
解説板です。
広島県史跡 曽根田白塚(そねだしらつか)古墳
福山市芦田町大字下有地
昭和56年(1981)4月17日指定
久田谷の北側丘陵の頂上付近に築造された古墳時代終末期(7世紀)の古墳です。
直径約9mの円墳と思われ、内部主体は猪の子古墳(加茂町)と同様に花崗岩の切石で造られた南に開口する横口式石槨ですが、石槨部に底石が無いのが特徴です。
石槨部は長さ2.2m、幅1.2m、奥壁現在高1.2m、羨道部は長さ3.7m、幅1.8m、入口現在高1.1m。石槨部東側石は一枚の石に亀裂を入れ、西側石との対照を意識しており、石の隙間には漆喰が残存しています。出土遺物は確認されていません。
福山市教育委員会
横長の開口部。高さ1.1mです開けていてフレンドリーな印象でした。
中を覗くと石槨が。
スマホ広角で。
羨道部の左側。
右側。
石槨に寄って。
石槨の内部。右壁の縦筋は、左壁の継ぎ目に対応して一枚石に刻んだ筋であったと、後で解説を読んで気づきました。左右対称を意識しているとみられるそうです。
石槨内で奥壁を背にして。
羨道部にて開口部を。