屋敷荒神古墳を拝見した後は神谷川に沿って5㎞ほど南下して、新市町(しんいちちょう:かつて広島県芦品郡にあり、2003年に福山市に編入)の”しんいち”歴史民俗博物館を訪ねました。
立派な建物です。右には”あしな”文化財センターも。
周囲は住宅地ですが、道は整然としておらず、古くからの街であることが推察されます。
入館無料。エントランスに大型の立体地図がありました。古墳の位置がいくつも!
2階の展示室へ。階段を上がると二子塚古墳の石棺レプリカがありました。
尾市古墳の、わかりやすいジオラマ。
尾ノ上古墳(加茂町字粟根:全長60mの前方後円墳)の出土品。
壺から円筒に移行中、のような円筒埴輪。
壺形埴輪も。
装飾品も見事。
レアな夔鳳鏡(きほうきょう)も。
グーグルマップに出なかったのは1999年に発見直後に土取り工事で破壊されたからでした。
しこまさんがその跡地を訪ねられています。
古墳探訪 大型古墳集成:1157 尾ノ上古墳 広島県福山市 60m
こちらは二子塚古墳のコーナー。
石室は、現地では柵越しの遠望でした。
石棺が除かれた貴重な写真。
豊富な出土品。
見事な柄頭!
福山市内の横穴式古墳のコーナーは、写真パネルですが圧巻でした。
こちら側の6基は今回訪ねることができました。
こちら側はヤブロ古墳、迫山第1号古墳、狼塚2号古墳は次の機会に。
権現第9号古墳、塚久保第1号古墳も次の機会としました。
福山市のサイトには1号墳のほうが紹介されていました。
常権現1号古墳( つねごんげんいちごうこふん) - 福山市ホームページ
この博物館では絣の展示に力が入っていました。
当地でつくられる「備後絣」は、伊予絣・久留米絣とともに日本三大絣に数えられるそう。
織機も並びます。
博物館のサイトによれば、嘉永6年(1853)に芦品郡有磨村(現芦田町)の富田久三郎によって備後地方で初めて絣の技術が創案され、旧芦品郡一帯で盛んに生産されて「備後絣」として全国に販路を広げ、昭和35年(1960)には全国の絣生産高の7割を占めたとのこと。
自分は親戚が久留米絣を手掛けていて子どものころから馴染み深かったのですが、備後絣のことは今回初めて知りました。
ちなみに久留米絣のサイトを見ると、そのルーツは1800年頃に当時12〜3歳だった井上伝(いのうえでん、1788〜1869年)の発案がきっかけだとされているそうです。