墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千崎古墳群(後編) 熊本県上天草市大矢野町維和

前回のつづきの千崎古墳群。

図の下の10号墳から11号墳で右に曲がって13号墳まで来ました。

 

その先の14号墳。

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千崎古墳群 14号墳
14号墳は千崎丘陵の北尾根にある、埋葬施設に箱式石棺をもつ古墳です。
破壊されており、古墳の詳細は分かっていません。

 

地表には天井石のような石も。

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15・16は見つけられなくて、次は17号墳。

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千崎古墳群 17号墳
17号墳は千崎丘陵の北尾根にある、埋葬施設に箱式石棺を持つ古墳です。
箱式石棺の石材の一部が露出していることから、箱式石棺であることがわかります。

 

18号墳は丘の頂に。

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千崎古墳群 18号墳
18号墳は千崎丘陵の北尾根にある、埋葬施設に箱式石棺を持つ古墳です。
発掘調査の後、この場所から移設されました。
発掘調査では人骨1体が出土し、粘土枕が確認されました。

 

西側、大矢野島の方向が開けました。

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北側も。ここの場所が唯一のビューポイントでした。

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ズームすると、天門橋・天草五橋1号橋も。

橋の右が宇土半島の先端で、海峡の向こうが有明海。

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その先の尾根に19号墳と20号墳(右奥)

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19号墳の解説はピンボケになってしまいました。

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20号墳の解説。

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千崎古墳群 20号墳
20号墳は千崎丘陵の北尾根にある、埋葬施設に箱式石棺を持つ古墳です。
箱式石棺の長辺にあたる長側石が露出しており、箱式石棺であることがあかります。

 

露出している箱式石棺の側石。

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21号墳。

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千崎古墳群 21号墳
21号墳は千崎丘陵の北尾根にある、埋葬施設に箱式石棺墓です。
箱式石棺の石材の一部が露出していることから、箱式石棺であることがあかります。

 

21号墳のあたりは跡がわからず。

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こちらはおそらく23号墳だと思われますが、解説は見つけられず。

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箱式石棺が健在。

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24号墳へは登り返し。

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千崎古墳群 24号墳
24号墳は千崎丘陵の北尾根にある、古墳のひとつです。
板状の石材が多数残っていることから石室を持つ古墳であると考えられています。

 

さらにまた上って25号墳。北の端のこの古墳が群中で最も古い可能性がある(弥生時代終末期から古墳時代前期)とのこと。

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千崎古墳群 25号墳
25号墳は、北尾根に位置する古墳の中では最も北側に位置する古墳の一つです。
この古墳は、千崎古墳群の中でも小型の箱式石棺で、石材の一部に安山岩が用いられ、石材表面の仕上げの特徴が異なるなど他の「千崎式箱式石棺」とは異なる特徴を持っています。25号墳のこのような特徴は、天草上島南部の小型の箱式石棺に近い特徴であり、千崎古墳群の中でも特異的です。
25号墳の築造時期は、類似する天草上島南部の小型の箱式石棺の年代から弥生時代終末期から古墳時代前期と推定され、千崎古墳群の中でも、最も古い段階の古墳である可能性があります。

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最後に26号墳。

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千崎古墳群 26号墳
26号墳は、北尾根に位置する古墳の中では最も東にある古墳です。
この古墳は、千崎古墳群の箱式石棺の中でも石材表面の仕上げが荒く、石棺の長辺である長側石に3枚以上の石が用いられている可能性があるなど、他の千崎古墳群の箱式石棺とは異なる特徴を持っています。
26号墳と近くの25号墳は、千崎古墳群の中でも最も北側に位置し、場所も近い2つの古墳が他の千崎古墳群の古墳と異なる特徴を持っていることは、古墳群の築造年代や方法を考える上で重要な点となります。

 

その先は墓地で階段も整備されていました。振り返って。

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道路に出て、一息ついて。

登り始めて20分くらいでしたが、長く感じられました。

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丘陵裾の道路を最初の登り口まで歩く途中、見上げるとカラスの群れが。

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元の登り口には、最初は気づかなかった標柱や案内板も。

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標柱の説明。

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海洋民族の墓で、維和人の先祖と推考される。現在では26基とされ、人骨、鉄剣、玉などが出土している。

 

案内板は「九州オルレ」のコース案内でした。

九州オルレは「済州オルレ」の姉妹版で、済州島の言葉で「通りから家に通じる狭い路地」を表す「オルレ」が韓国国内でトレッキングコースを意味するようになったのだそう。

オルレとは | 九州オルレ

その説明で、維和島が天草四郎の生誕地であることを知りました。

 

南端側から千崎丘陵を。

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