墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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実相寺古墳群:太郎塚古墳・次郎塚古墳 大分県別府市大字北石垣

前回の鬼ノ岩屋古墳群の説明板に実相寺古墳群についても書かれていたので立ち寄ってみた。

 

細い枝道を入り込んでいくと古墳は道沿い東側にあった。

太郎塚古墳(右)、次郎塚古墳(左)が仲良く並ぶ。

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金網フェンスで仕切られている。

手前が太郎塚古墳、左奥に次郎塚古墳。 

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フェンス間の通路から中へ。こちらが太郎塚古墳。

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太郎塚古墳の墳頂には石材が露出。

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振り返ると次郎塚古墳。

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次郎塚古墳を西側から。 斜面が石で凸凹している。

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石に近寄って。手前が南側なので開口部か。

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次郎塚古墳を東側から。左にちょこっと見えているのが太郎塚。

墳丘の木々は桜のようだ。

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そこから視線を左に移して。右の奥が太郎塚古墳。 

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金網の手前に説明板があった。鬼ノ岩屋古墳と合わせて国指定史跡(平成29年指定)となっている。

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国指定史跡 鬼ノ岩屋・実相寺古墳群
平成29年1月9日指定

実相寺古墳群
実相寺古墳群は、6世紀後半から7世紀初頭にかけて造られた古墳群で、鷹塚古墳・太郎塚古墳・次郎塚古墳・天神畑古墳1号墳・天神畑2号墳の5基の古墳から構成されています。
鷹塚古墳は一辺が25m程度の方墳で、主体部である横穴式石室は、これまで県内最大とされていた鬼ノ岩屋2号墳を凌ぐ規模であることが判明しました。
太郎塚古墳・次郎塚古墳は近接して存在する古墳で、「別府太郎次郎墓」として江戸時代から知られる存在でした。ともに直径が23m程の円墳と考えられています。
実相寺古墳群や鬼ノ岩屋古墳群が造られた別府の地は、古墳時代の終りに、県内最大規模の巨石墳がたて続けに造られるなど、大分県古墳時代を考える上で重要な地域であるとされています。
別府市教育委員会

 

隣の説明板は鬼ノ岩屋1号墳にあったものとほぼ同じ。

鬼ノ岩屋・実相寺古墳群とは
鬼ノ岩屋・実相寺古墳群は、春木川を挟んで約1㎞離れた2つの古墳群です。この2つの古墳群は6世紀後半から7世紀初頭のおよそ50年間という短い間に、当時としては県内最大級の古墳を立て続けに造りました。鬼ノ岩屋古墳群は筑後や肥後の影響が認められ、実相寺古墳群は畿内政権とのつながりが指摘されています。

郡衙と駅の想像図
鬼ノ岩屋・実相寺古墳群が造られなくなったのち、別府には速見郡衙が設置され、郡衙を中心に人とモノの交流が盛んに行われました。速見郡衙は2つの古墳群の中間にある八幡石垣神社付近にあったと推定されています。

 

説明板の背面には移築石室(天井なし)があったがそれは次回で。

金網の手前には石棺が置かれていた。

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箱式石棺。 

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反対側から。 

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今は野ざらしだが、彫った跡、朱の跡がしっかり残っている。

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隣には、展開図のようになった別の石棺と、家形の蓋。縄掛け突起もある。

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半分に割れていたが。

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こちらも石棺蓋のようだが、ベンチのような姿だった。

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