七ツ塚古墳群で50基近くを巡ってから、風土記の丘の北西部に続く浄楽寺古墳群へ。
園路沿いの案内板には「浄楽寺古墳群西群」と記載されていました。
上記を左に入っていくとすぐに58号墳。
左手には114号墳。
よく見ると「浄楽寺114号墳」とあるので、前回の七ツ森古墳群からの続き番号ではなく、別に100を超える番号シリーズがあるということを、ここで認識しました。
しばし呆然としていたらコツコツという音が。
見上げるとキツツキが!
いのしかちょう(鳥ですが)と役が出来ました。
気分が上がりました。
ここから先は丘陵の枝尾根を確認歩き。
浄楽寺81号墳。
杭だけの案内板が立つ円墳。
まだ奥があります。
111号墳。
105号墳。
101号墳。
尾根の先端部に60号墳の札が放置されていました。
折り返します。
99号墳の札。
104号墳。
もとの園路に戻ると、道の反対側にも尾根があって支群が連なっていました。
奥へ下っています。
69号墳。
98号墳。
71号墳。
77号墳。
72号墳。
76号墳。
78号墳を振り返り気味に。
その先の79号墳でも。
その先の95号墳。
94号墳。
風土記の丘の北側が見えてきました。
中央の川は美波羅川で、奥で田総川に、さらに下流の三次市街で江の川に合流します。
降りてきた斜面を登り返して園路のそばにて。
64号墳。
放置されていた67号墳の札。
心を無にして、足を前に進めます。
墳丘というよりも番号札を探していたですね。
63号墳。
園路沿いにあった61号墳は大きな方墳でした。
説明板完備。
浄楽寺第61号古墳
浄楽寺第61号古墳は、浄楽寺古墳群の南側に位置する方墳です。方墳とは、上から見ると四角形の古墳をいいます。
おおよその規模は一辺が19.0m、高さ2.7mです。浄楽寺第61号古墳は、正方形に近い整った形をしており、浄楽寺古墳群の方墳の中ではもっとも大きなものです。
古墳の頂部で長さ2.0m、幅0.6mの箱形石棺が見つかっており、床面には石が敷き詰められていました。石棺からは鉄剣、鉄器の破片、人骨の一部が出土しました。
そのとなりには、多分60号(番号札みつからず)
隣合う方墳2基。
松林内に56号墳。
55号墳。
54号墳はブレました。
53号墳。
古墳群を堪能して(彷徨い歩いて)着いた説明板。
現在地はまだ中間点。浄楽寺古墳群の核心部はここからでした…
史跡 浄楽寺・七ツ塚古墳群(浄楽寺古墳群)
指定年月日:昭和47年(1972)10月12日
所在地:広島県三次市高杉町・小田幸町
三次盆地周辺は、中国地方有数の古墳密集地帯です。なかでも比高30~50mの丘陵上に密集する浄楽寺・七ツ塚古墳群は、最もよくその特徴を示しています。
この地区は、七ツ塚古墳群と一連の丘陵上にある浄楽寺古墳群で総数116基の古墳が見つかっています。浄楽寺・七ツ塚古墳群のなかで最大規模の浄楽寺第12号古墳(直径45m、高さ6mの円墳)をはじめ、帆立貝形古墳1基、方墳18基ほか多数の円墳が密集し、当時の社会の仕組みを研究するうえで貴重な資料となっています。
広島県教育委員会