墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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七ツ塚古墳群(1・3・4・5・6号墳) 東京都日野市新町

「それは誠」の聖地巡礼をした際に、近くの古墳も廻りました。

 

こちらのほうが日野駅から遠そうだったので、駅からバスで「栄町5丁目」まで乗り、そこから南へ丘を上がって古墳公園へ。

 

そこから振り返った北側の坂道。その先には多摩川が流れ、その奥の丘上には昭和記念公園があります。

 

古墳にちなんだ公園名。出土した埴輪の絵も。

七ツ塚公園
七ツ塚古墳群(日野市指定史跡)は、髷を結った女性埴輪が、明治時代に鳥居龍蔵により紹介されたことで有名になった古墳群です。
その後も地元の立川民蔵の尽力により古墳の知名度があがりました。
現在では5基が残っていますが、かつては多くの墳丘がこの付近に点在し、“七ツ塚”の名で親しまれてきました。また、この一帯は旧石器時代の遺物や縄文時代の住居跡がみつかるなど、太古からのヒトの活動の跡が残された地域でもあります。

 

最初に目に入った土盛りですが遊具あり。古墳ではなかったです。

 

その脇のこちらが七ツ塚1号墳でした。

 

東側から。

 

その説明板。全部で5基が残っているとの情報が。

日野市指定史跡
七ツ塚古墳群
古墳群は、日野台地の北西部、西に谷地川を望む七ツ塚遺跡に所在する。現在、5基ほど墳丘が削られて残っているが、当時は7基にとどまらなかったと考えられる。
昭和29年(1954)に行われた発掘調査では、横穴式石室を主体部とした古墳が発見され、直刀1口、刀子2本、鉄鏃4本の副葬品が出土した。また、古墳の周辺からは戦前に女性埴輪・円筒埴輪・管玉・勾玉等が発見された。
古墳群の造営年代は6~7世紀頃と推定されている。
昭和36年(1961)10月1日指定 日野市教育委員会

 

墳頂の祠に参拝。

 

公園の西端からの眺め。日野自動車の総合グラウンドの向こう側に、多摩川へ注ぐ支流の谷地川が流れています。

 

遊具のある土盛りから南側を見ると、右奥の畑に墳丘らしきものが。

 

あれは墳丘ですね。


グーグルマップで確認すると3、4、5、6号墳が。

 

道路脇の4号墳。柵の向こう側です。

 

枯草の中に幾つか石が見え隠れしているのですがよくわからず。右奥に5号墳。

 

左が4号墳、右端が5号墳。

 

5号墳(右)の左奥に、小さな6号墳。


道路の先に3号墳。

 

削られた感じの墳丘ではありますが、道路はしっかり除けています。

 

その先から振り返って。右端が3号墳、その左に4号墳、5号墳、6号墳。

 

2号墳については検索すると、ご~ご~ひでりんさんのサイトに想定位置の写真が示されていました。

古墳なう 「七ツ塚古墳群 2号墳」(日野市指定史跡)

写真では林の中ですが、おそらく下記の中央右寄り、新築の住宅が建っているあたりかと。

 

墳丘が残る畑から南方向には壁が続いていました。

 

中央自動車道のフェンスでした。

橋から西方向。緑の標識は「八王子まで2㎞」その少し先には北大谷古墳があります。