墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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坂西横穴墓群 東京都日野市大坂上

坂西横穴墓群は日野駅から徒歩7分ですが、七ツ塚古墳群から歩くと30分弱でした。

 

住宅街を抜けて、中央線の通る谷に出ます。

 

振り返った住宅街。

 

線路は4本以上あって、砂利を積んだ保線車両も。

 

階段の途中から、目的地のピンが立っている斜面あたり。

横穴墓があるということは、もともとあった谷を利用して中央線が敷かれたということ。

 

線路沿いの道を進むと説明板がありました。

 

東京都指定史跡。

東京都指定史跡
坂西横穴墓群
所在地:日野市大坂上
指定:昭和53年3月16日
昭和49年(1974)、日野市神明上土地区画整理事業の道路工事中に1号横穴墓の羨門部の封石が発見され、翌年にかけて、緊急調査が行われました。線路・道路に沿って約50mの範囲に7基の横穴墓が検出され、道路の設計変更などでそのうち、1号、3号、4号の3基が保存されています。
1号と4号は規模・形態ともに類似し、胴張複室構造で、前室天井がアーチ状、後室天井がドーム状となります。羨門から奥室までが約6mあり、床には自然石を敷く礫床です。特に1号は白色粘土を全面に塗布する特徴的な横穴です。また、1号、4号には斜格子模様などの線刻文字、馬や鳥が羽ばたいたような線刻画が描かれ、盗掘の際に刻んだと考えられる永仁2年(1294)などの年号も刻まれています。
構築年代は、盗掘のため副葬品がなく不明ですが、梵天山横穴墓群などとの比較から、7世紀の後半代と考えられています。
平成22年3月建設 東京都教育委員会

 

そのとなりの「坂西横穴墓群説明図」は40年近くを経て読みにくくなっていました。

 

線路沿いに7基。昭和49年に斜面に道路が敷かれるまでは見つかっていなかったのですね。

 

説明板には1号墓の壁画も。馬に乗る人が描かれています。


南側から説明板のあたりを。

 

その左手の階段。

 

ちょっと上がって斜面を見ましたが、地面は見えませんでした。

 

橋をくぐってさらに南へ。

 

振り返った橋と、過ぎていった東京行きの中央線。

 

さらに南にかかる橋の金網越しに北方向を。もとは北側へ降りる谷戸地形だったのでしょう。中央線は舌状台地を南に切通して浅川へ抜けます。