墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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山畑横穴群 宮城県大崎市三本木蟻ケ袋山畑

前回の念南寺(ねやじ)古墳からは東南東に4㎞、同じく鳴瀬川右岸の丘陵先端に立地する山畑横穴群へ。

 

むき出しの崖の前に説明板。

 

装飾のある横穴墓としては北限域のもので国史跡。

国指定史跡 山畑横穴群
昭和48年12月15日指定
山畑横穴群は鳴瀬川南岸の丘陵斜面に築造された26基の横穴ぼからなる遺跡で、7世紀代に築造が始まり、9世紀代まで使用されていたものと考えられています。横穴墓とは、古墳のような墳丘を持たずに、山や崖の斜面に横から掘り込まれた墓のことで、横穴古墳とも呼ばれています。山畑横穴群では、墓の内部の壁に、家屋の棟、針、柱や、同心円文、珠文(しゅもん)が朱書きで彩色された装飾横穴墓が3基発見されています。この発見から遺跡は我が国における北限域の装飾横穴墓として国の史跡指定を受けました。
史跡の南側に隣接する大崎市三本木ふるさと研修センターには古墳資料展示室があり、山畑横穴群や周辺の横穴墓群を、装飾横穴墓の模型や展示品などで紹介しています。
大崎市教育委員会

 

上記から、10号墓に描かれた同心円文、珠文。

 

実測図と開口部の写真も。

 

横穴墓があるのは崖の右、草が生えている斜面の上部のようでしたが、穴は見えず。

 

すぐそばに古墳資料展示館があります。参観人駐車場あり。

 

施錠されていましたが、指示に従ってインターホンを鳴らすと、近所の方に鍵を開けていただけました。

 

展示室中央には15号墳のレプリカが。

 

出土品も展示されています。

 

明かりがつくと、整った朱描線が現れました。

奥壁には垂直・水平線と、3つの同心円文。


アーチに沿った線もあります。床には側壁に平行して2つの屍床。

 

解説によれば朱描線は棟、垂木、軒回り、柱などを表現しているとのこと。確かに、その位置に鉄筋でも入っているような印象を受けました。

山畑装飾横穴古墳(15号墳)
発掘調査によって発見された横穴で、羨道前半部から前方は完全に埋まっていました。玄室から玄門床面には、壁面を流れ落ちる水滴によって長年の間に自然堆積したと思われる泥状のものが厚さ2~3㎝程度に覆っていました。副葬品は玄室内からは皆無であり、羨道部床面近くで引田式系の坏同一個体のものが2か所から検出されたにすぎません。
玄室立面形は整正系アーチ型であるが、左右側壁の立ち上がりはかなり直線的で、棟、垂木、軒回り、柱などを表現した朱描線とあわせて、切妻造りの家形を意図したものであろう。加えて奥壁上部には朱描線による同心円文3つが描かれています。10号墳や6号墳とともに装飾古墳といわれる所以です。

 

山畑古墳群の解説。昭和46年の土取り工事中に発見。残ってよかったです。

山畑横穴古墳群
装飾古墳は、これまで福島県地方が北限と考えられてきましたが、今回偶然にも宮城県でも発見され、各方面から注目をあびるようになりました。この山畑装飾横穴古墳は、昭和46年秋、土取り工事中に発見されたものですが、発見以来、土地所有者の理解と協力によって円満に永久保存が決定し、昭和47年4月、仮指定をするにいたり、昭和48円12月15日には国の史跡に指定されました。
装飾図文は、同心円文と珠文という一見古拙な描写ですが、このようなものを古墳壁画に飾れるのは、特定の身分や地位のある人に限られたようです。この図文は最近全国的な話題となった飛鳥の高松塚古墳のような大陸伝来の高度芸術の所産ではなく、日本固有の風土のなかではぐくまれてきたものであるだけに、その価値はまた格別であると思います。
宮城県の西部には、奥羽山脈が屏風状に南北に連なり、その峻峰の一つに船形山があります。この山の標高300~400mの高さから下では、急にその峻険さを失い、山裾を台地状に大きく東に突き出し、遠く松島湾にまで影響を及ぼしています。南の丘陵を七北田丘陵、北側を大松沢丘陵と呼び、この二つの台地性の丘陵によって宮城県は地理的に県北(大崎平野)と県南(仙台平野)とに二大別されます。こうした地形であるため、気候、産業、生活文化などあらゆる面で、かなりの差異を見い出すようになります。三本木町は、この大松沢丘陵の北辺部にあり、県都仙台市より北に35㎞ほどでこの地に達します。
古墳の形で大型の円墳・前方後円墳・前方後方墳などが見られるのは、せいぜいこの地方までで、後期群集墳や横穴墳が群在する地域も大崎地方が北限で、これより北ではk分は構造的にも内容的にも貧弱なものとなります。
また、奈良時代の城柵の配置をみると、伊治城を除くそのほとんとはこの流域に設けられたと考えられ、蝦夷と大和朝廷の文化の接点としての特色をみることができます。

 

10号墳の解説。

 

同心円文の数は15号墳より多いです。

10号墳装飾図文
装飾図文のある部分は、玄室内の周壁面とそれに続く天井面、厳門部の前壁面です。玄室内の壁面で、隅棟、軒回り、隅柱にあたる部分には朱描線が施され、それに囲まれる部分には円文と珠文が、屋根にあたる部分には珠文のみが描かれています。

 

三本木町にはほかにも複数の横穴墓群が、さらに円墳もいくつか残っていることをこの案内で知りました。

 

青山横穴古墳群の解説。

 

混内山横穴古墳群の出土品と解説。

 

時間に余裕がなく、このあとは南の黒川郡大和町へ向かいましたが、三本木の他の古墳もいつか巡ってみたいです。