墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蛭子山古墳(蛭子山1号墳) 京都府与謝郡与謝野町明石

2022年3月11~13日の北近畿墳行の続きです。

前々回の白米山(しらげやま)古墳の1.5㎞北に、古墳公園として整備された蛭子山(えびすやま)古墳がありました。

北に野田川を8㎞ほど下れば、天橋立の奥側の阿蘇湾に出られる場所です。

 

公園入口前の案内図。蛭子山古墳群と作山古墳群が見られます。

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町立の古墳公園で入園料は300円(はにわ資料館も込み)、駐車場完備。

開館時間(9時~17時)と定休日に要注意です。

与謝野町立古墳公園 | 与謝野日々是 与謝野町観光協会

 

カフェや体験教室施設のある建物を通り抜けて、大きな墳丘へ。

目の前が蛭子山1号墳の後円部で、左に前方部が続いています。

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階段下の説明板。

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国指定史跡 蛭子山(えびすやま)古墳群
■指定名称等 史跡 蛭子山古墳、昭和5年(1930)7月8日指定
■経過と現状 蛭子山1号墳では、昭和2年(1927)3月7日の北丹後地震で後円部中央に地割れができ、その中に埴輪が並んでいるのが発見されました。その後、昭和4年(1929)10月の災害復旧工事中に巨大な石棺が発見されて以来、今日まで3回の発掘調査が行われてきました。
■古墳群の構造 遺跡台帳上の古墳数は8基で、その中の3基が史跡に指定されています。なお、明確な墳丘のある8号墳を除き、4~7号墳は不確実なもので、弥生時代の墓の可能性も含め、詳細な調査が必要です。
■1~3号墓の概要 1号墳は墳頂145m、後円部高さ16mの前方後円墳で、日本海側で第3位の規模を持つ巨大な古墳です。墳丘は3段に造られており、斜面は川原石の葺石で覆われ、段上テラスには埴輪列が三重に古墳を取り巻いています。埋葬施設は後円部中央に3基あり、中央埋葬が舟形石棺で、墓壙上には方形に埴輪が並べられていました。2号墳は一辺42mの方墳で、3号墳も一辺15mの方墳です。
■1号墳の歴史的評価 蛭子山1号墳は規模や内容から古墳時代の丹後地域のみならず、日本海沿岸地域を代表する大首長の墓と考えられます。
与謝野町教育委員会

 

説明板右側を拡大。

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一段上がったテラスから。左奥へと前方部。

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二段目へ上がります。

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二段目上から前方部方向を。

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墳頂への階段。

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階段前から振り返ると作山古墳群、前の建物は、はにわ資料館。

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後円部墳頂は広々としていました。

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建物が一棟、後円部先端側を向いて建っていました。

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建物の横にも説明板が。

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国指定史跡 昭和5年7月
蛭子山古墳
蛭子山1号墳は全長145m(復元長170m)、後円部径100m・高さ16m、前方部幅62m・高さ11mの大型前方後円墳です。
墳丘は3段に築かれ、各段に埴輪列、墳丘には葺石が確認されています。
古墳は1929、1984、1990年に調査が実施され、後円部中央から3基の埋葬施設、2ヵ所の方形埴輪列が発見されました。3基の埋葬施設はいずれも南北を主軸とし、平行してつくられています。中央の第1主体部は巨大な墓壙内に砂利を厚く敷き詰め、その上に花崗岩製の舟形石棺を安置していたようです。棺内はすでに荒らされていましたが、中国製の内行花文鏡・鉄製大刀などが検出され、棺外からは鉄製武器類が多数発見されました。埴輪列は墓壙を埋めた後、溝を掘って樹立されており33本の埴輪が出土しています。
東側の第2主体部は全長4.6mの竪穴式石室で、第1主体部同様に石室を埋めた後、16本の埴輪を立てならべています。第3主体部は一部が確認されただけですが、埴輪列などはないようです。また、舟形石棺は加悦谷産の花崗岩を使用しているので、石棺もこの地で製作されたものとみられます。
古墳は出土した遺物などより、古墳時代前期、4世紀中頃に築造されたと考えられています。
蛭子山1号墳はその規模・内容などからして、古墳時代前期後半頃の丹後地域を代表する首長墓とみられるもので、古代の丹後の成り立ちを考える上でも貴重な歴史的文化遺産といえるでしょう。
2003年3月 加悦町

 

自分はこの建物が神社だと思い込んでしまい、その中に納められていた舟形石棺(石枕が掘り込まれている貴重な石棺!)を見学し損ねてしまいました…

 

その”建物”を背にして、後円部先端方向(南東)を見ると2号墳。

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1号墳の後円部を降りて、後円部裾から前方部側へ回ってみます。

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くびれ部の側面あたり。

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そこから鞍部へ上がって後円部を見上げて。

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こちらは後円部から見下ろした前方部。

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鞍部から前方部先端方向。

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前方部先端から後円部を。雄大です。

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前方部先端から。北西を向いています。

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テラスへ降りて、前方部左裾から。左奥、木立の背後が後円部。

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