墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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みよし風土記の丘・その4(浄楽寺古墳群・の後編) 広島県三次市高杉町

みよし風土記の丘歩きの最終回です。

公園駐車場に着いてから50分ほど彷徨して、浄楽寺第1号古墳の位置に。

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説明板があります。帆立貝式古墳が多さを実感します(広島県が日本一)

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浄楽寺第1号古墳
浄楽寺第1号古墳は、第12号・37号古墳を中心としたグループのもっとも南に位置し、丘の尾根の平坦地に立地する帆立貝形古墳です。帆立貝形古墳とは、大きな円丘部に小さな方丘部(造り出し部)をつけた、上から見ると帆立貝の貝がらと似た形の古墳をいいます。
おおよその規模は、長さ27.9m、高さ3mです。古墳の頂部に長さ3.5m、幅2mの穴があり、箱形石棺があったと推定されています。穴の底面には敷き詰められた石や、朱が一部に見つかったほか、土器や須恵器の破片が出土しました。墳丘の斜面には葺石があり、周囲には溝がめぐっているようです。造られた時期は5世紀ごろと考えられます。

 

ここには「古墳に上がらないでください」の注意書き。

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その手前にあった全体案内を再掲。

マップ中央の赤い文字が現在地で、右下からやってきてここに辿り着いたところ。

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1号墳の先には2号墳。

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そして3号墳。

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4号墳。カウントアップしていきます。園路の右手には30番台がカウントダウンしていくので、折り返しが20号墳くらいなのでしょう。

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丘陵の縁に沿うように続きます。5号墳。

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6号墳。

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7号墳。

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8号墳。

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小ぶりな9号墳。

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10号墳も。11号墳はわからず…

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12号墳は園内最大の墳丘規模でした。

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浄楽寺第12号古墳
馬洗井川流域の平野を見わたす丘陵上に造られた浄楽寺第12号古墳は、直径46m、高さ6mの円墳で、みよし風土記の丘の中でもっとも大きな古墳です。
墳丘には、下から約1.5m上がったところに、幅2.5mの段が造り出されています。この段から下は自然の地形を削って形を整え、段から上は人工的に土を盛り上げて墳丘を造っています。段から上の墳丘の斜面には、盛土の流失を防ぐための葺石が並べられており、家形埴輪の破片も見つかっています。
頂部のほぼ中央からは、木棺を粘土で包んだ粘土槨とよばれる埋葬施設が、頭部を東南に向けて二つ並んで見つかりました。北東側の粘土槨は長さ4.2m、幅0.6mで床面には小石が敷き詰めてあり、鉄鏃3、刀子2、鉄辺3が見つかっています。南西側の粘土槨は長さ2.4m、幅0.4mで、ガラス小玉約100、メノウ製勾玉2が見つかりました。出土品の一部は、みよし風土記の丘ミュージアムに展示しています。
この古墳は、埴輪や埋葬施設、副葬品などから5世紀ごろに造られたものと考えられます。

 

墳頂の様子。埋葬施設の位置はわかりませんでした。

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西側に広がっていた気持ちの良い眺め。

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さらに先へは14号墳。

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15号墳は遠目から。

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16号墳。

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17号墳。

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そのあたりには、北側からの公園案内図がありました。

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みよし風土記の丘案内図
三次盆地周辺は、中国地方有数の古墳密集地域です。その中でも、史跡浄楽寺・七ツ塚古墳群は最大級のもので、典型的な群集墳のひとつです。これらの古墳は5世紀~7世紀に造られたものです。
みよし風土記の丘はこの古墳群を含む約30万㎡を整備したもので、このほか、県立歴史民俗資料館、民俗資料常設展示館、古代復原住居、重要文化財旧真野家住宅、自然野草園等があり、文化財と自然を一体的に学習するところです。(神杉駅まで徒歩20分)

 

30万㎡=30haはTDLの5分の3くらいですが、細く枝状に展開しているので巡ると長い距離になります。

 

18号墳。

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19号墳。

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20号墳。

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21号墳。

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22号墳。

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奥の茂みにも続いていそうですが、もう引き返しました。

来た園路を戻ります。右に18から20号墳。

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お墓の先、左手が34号墳から始まりました。

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35号墳。

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枝尾根に33号墳。

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30号墳。

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枝尾根の先の31号墳も規模が大きかったです。

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ということは、さっきの22号墳の先に7基くらいあったのでしょう。


戻り路の32号墳。

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番号札が見当たらなかった墳丘。

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さらに戻って38号墳。墳頂に穴が…

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上がってみると竪穴式石室が。

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石室内にカメラだけ入れて。

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墳頂から南への戻る方向。右に園路が見えています。

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41号墳。

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47号墳。

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43号墳。

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七ツ塚古墳に戻りました。

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駐車場に戻った時には1時間20分が経過していました。

 

最初に車から降りて見た案内図を再掲。

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よく見ると右上に古墳の数の表が出ていました。

 

古墳の総数176基。

  浄楽寺 七ツ塚
前方後円墳 0 1 1
帆立貝形古墳 1 2 3
円墳 97 55 152
方墳 18 2 20
116 60 176

 

最初にこの数を見ていたら、途中で「次の機会」にしていたと思います。

 

これまでに訪ねた古墳の数としてカウントするときは、「古墳群」なので100とは言いませんが、20くらいはプラスしたいです。