飯野坂古墳群では、南東端の薬師堂古墳を最後に訪ねました。
下記は、このあとに訪ねた名取市歴史民俗資料館の展示パネル。飯野坂古墳群についてのわかりやすい解説です。
日本北限の前方後方墳群
飯野坂古墳群(国指定)
飯野坂古墳群は、前方後方墳5基と方墳2基が密集して造られた日本北限の前方後方墳群です。その中の最大は、薬師堂古墳と観音塚古墳の全長65m、最小は山居北古墳の全長40mです。さらに観音塚古墳に隣接して方墳が2基あり、これらは一辺14mほどの大きさです。また、以前はこの近くにカラト塚古墳、山囲古墳があり、頭椎太刀とよばれる装飾のついた太刀が出土しましたが、古墳群との関連は不明です。
これらの古墳群は古墳時代前期(4世紀)に連続して造られたもので、この地域を治めた代々の首長墓だったと推定されています。
薬師堂古墳の後方部先端側を、北西から。
杉の樹林に覆われていますが、近づくと高さのある墳丘が。
後方部墳頂の様子。
後方部から前方部方向を。
東の裾に薬師堂。
西側の斜面。
前方部先端。この先も下っていて、舌状台地先端の立地を実感できます。
前方部の端から振り返った後方部側。
縦位置で。
前方部の先端を横から。
東側の墳裾から見渡せた名取市街。
説明板もありました。
史跡飯野坂古墳群 薬師堂古墳
所在地:飯野坂5丁目220番地外
指定日:昭和53年3月16日
●薬師堂古墳と飯野坂古墳群史跡飯野坂古墳は、市西部の丘陵から平野部中央へ突き出た標高約40mの愛島丘陵の北東端(飯野坂5丁目・名取が丘1丁目)に所在する、前方後方墳5基と方墳2基が近接して分布している全国でも珍しい構成の古墳群で、観音塚古墳はその前方後方墳の内の1基です。
それぞれの古墳は、南東側から薬師堂古墳、宮山古墳、山居古墳、山居北古墳が一方向に並んで立地し、山居古墳の東に観音塚古墳、その北西側約30mに観音塚北1号墳、約60mに観音塚北2号墳の方墳が2基あります。
これらの古墳は4世紀に①観音塚古墳→②宮山古墳→③薬師堂古墳→④山居古墳→⑤山居北古墳の順に築かれた代々の首長墓と考えられています。●薬師堂古墳の形態や規模
薬師堂古墳は、飯野坂古墳群の最も南東側にある古墳で、宮山古墳から約150m離れた、標高約30mの丘陵端に位置しています。昭和30~40年代に周辺が宅地開発されましたが、現地に保存され、現在まで守り伝えられてきました・
平面形は残存する後方部がほぼ方形で、西側のくびれ部はしまっています。前方部は後方部より一段低く設けられており、前端は大きく開きません。大きさは全長約65m、高さは後方部が約6.2m、前方部が約3mと推定されます。段築や葺石は認められませんが、くびれ部西側の墳麓線付近から壺形埴輪の破片が一点見つかっています。
令和4年3月18日 名取市教育委員会
薬師堂は後方部裾に。燈篭が倒れていました。
くびれ部前が境内のように。
東側の丘の下から参道が。
狛犬が、ニヒルなおじさんに見えました。
お堂の脇をとおって、元の墓地に戻りました。