墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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定北古墳(大谷・定古墳群) 岡山県真庭市上中津井

大谷1号墳を見た後は、定北(さだきた)古墳は、中津井川の対岸の定(さだ)古墳群へ向かいました。

 

駐車場から丸見えの開口部は定東塚・西塚。定北古墳から戻ってから入りました。

 

定北古墳へは、定東塚の右から少し登っていきます。

 

しっかりした標柱、さすが国史跡。

 

高さのある墳丘。

 

回り込むと開口部。

 

説明板あり。7世紀に築かれた方墳で、石室からは陶棺が4基出土。

定北古墳
定東塚・西塚古墳の背後に位置する丘陵の斜面に築かれた方墳で、南辺で21.0m、東辺で25.3mの規模を持ち、「大谷・定古墳群」の中で最大の規模を誇ります。
南に向かって開口する横穴式石室はこの地域でとれる礫岩の切石で造られており、全長は10.2mとなっています。
発掘調査の結果、石室からは4基の陶棺と、1基の木棺痕跡が確認されました。石室からは銅椀の蓋や大刀、鉄鏃、斧状鉄製品、須恵器などと、やや新しい時代の蔵骨器が出土しました。4基の陶棺のうち、3号陶棺の蓋と身には「記」の文字が刻まれていました。
陶棺や須恵器などから考えると、この古墳は7世紀の方墳で、定東塚・西塚古墳の特徴を継承し、切石の石室など次に築かれる大谷1号墳につながっていく要素がみられます。

定4・5号墳
定北古墳よりさらに上方に築かれた小規模な方墳です。4号墳は前面に基壇を備えた2段築成、7世紀終わりから8世紀初めに築かれたと考えられます。5号墳は2段築成で、出土した須恵器から考えると、大谷1号墳と同時期である7世紀後葉に築かれました。

 

巨石を組んだ石室へ。

 

奥壁を背に。

 

開口部を背にした眺め。今は樹木で見通せず。

 

開口部を横から。



墳丘の背面方向。

 

(開口部側の)背面から見た墳丘。

 

緑を浴びながら、駐車場へ戻ります。

説明板にある定4号墳・5号墳は次の機会としました。