墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

定東塚・西塚古墳(大谷・定古墳群) 岡山県真庭市上中津井

定北古墳から戻って来て駐車場のすぐそばの、定東塚・西塚古墳へ。

 

目の前に開口しています。

 

説明板あり。

定東塚・西塚古墳
この古墳は、それぞれに横穴式石室を持つ、東塚と西塚の2基の方墳が非常に近接して築かれたものです。
石室はいずれも古くから開口していましたが、発掘調査の結果、東塚石室からは4基の陶棺が出土し、西塚からも6基の陶棺と1基の木棺痕跡が見つかりました。
東塚の石室からは、純金のリング2点や金糸をはじめ、鉄刀や鉄鉾などの武器、金銅で飾った馬具、鉄製の鍬先、須恵器・土師器など多量の副葬品が出土しています。純金のリングや金糸は全国的にも珍しいものです。西塚の石室からも方頭大刀を推定される刀の装具や馬具、鉄鏃、須恵器・土師器などが出土しています。
陶棺や出土した遺物から考えると、東塚は7世紀前葉に造られ、次いで西塚が築かれました。東塚・西塚の墳丘は石垣状の段を持っており、石室の入口を中心に数回の修築の跡が認められ、最終的には東塚は古墳前面に2段の基壇を備えた3段築成、西塚は2段築成の方墳であったことが発掘調査で明らかとなりました。
定東塚・西塚古墳は、終末期古墳群である「大谷・定古墳群」の中で、最古の段階に位置付けられ、その被葬者は蘇我氏を中心とする勢力と結びつき、この地域に隆盛をもたらした人物たちであったと考えられます。

 

陶棺が置かれていた西塚古墳の写真。

 

まずは東塚古墳から。

 

大きな石室です。

 

奥壁を背にして。

 

羨道から開口部を。

 

東塚を出て右手に、西塚の開口部。斜面を慎重に伝い歩いて近寄ります。

 

その開口部。

 

中へ入って振り返って。

 

奥壁を。中は広いです。

 

奥壁を背に。