墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

五里山3号墳 大阪府東大阪市上四条町

東大阪市立郷土博物館見学後は南に徒歩15分の五里山3号墳へ。

博物館のすぐ東には山畑12号墳や山畑2号墳が開口していることは今認識しました…(これを見ずして、と下調べ不足を反省)

 

最後の上りの途中にあった旧春日神社本殿。

f:id:massneko:20220125165429p:plain

 

一段高い場所に残る社殿(覆屋)

f:id:massneko:20220125165452p:plain

 

覆屋内に室町期の本殿が残っていることを、今知りました。

f:id:massneko:20220125165440p:plain

 

さらに150m程登ると墳丘が。

f:id:massneko:20220125165506p:plain

 

公園入口です。

f:id:massneko:20220125165529p:plain

 

金網の先に墳丘が。

f:id:massneko:20220125165546p:plain

 

立派な説明板。

f:id:massneko:20220125165556p:plain

五里山古墳群と五里山3号墳
五里山古墳群は、鳴川南岸の尾根の先端から土石流段丘上、標高120mから90mにわたる地域にある群集墳です。6世紀中頃から7世紀前半にかけて構築された横穴式石室をもつ11基の円墳からなっています。半壊しているものを含め5基(1~4号墳、11号墳)が現存し、1~3号墳は昭和43年に東大阪市の史跡に指定されています。昭和41年と平成20年に発掘調査が行われました。
3号墳は6世紀中頃築造された径16m、高さ4mの円墳です。玄室の長さ4.90m、奥壁幅1.93m、高さ2.2m~2.73m、羨道の長さ5.2m、幅1.63m~1.8m、高さ1.58mを測る、南南西方向に開口する右片袖式の横穴式石室があります。須恵器、土師器、馬具、鉄刀、鉄鏃など多くの遺物が出土しています。本古墳群内でもっとも早く造られた古墳です。組合式石棺とともに木棺に使用された鉄釘も見つかっており、7世紀前半まで追葬が行われていました。
平成21年3月 東大阪市

 

しかし、古墳への道には鍵が。

f:id:massneko:20220125165624p:plain

 

間近にいても、開口部も見えず。

f:id:massneko:20220125165612p:plain

 

眺めのいい場所にあります。

f:id:massneko:20220125165641p:plain

 

このすぐ近くの2号墳や、山畑古墳群の見事な石室は、平家蟹さまのサイトをご覧ください。

古墳のお部屋ブログ館 五里山2号

古墳のお部屋ブログ館 山畑古墳群

 

額田大玉さまも!

東大阪の古墳