東大阪市立郷土博物館見学後は南に徒歩15分の五里山3号墳へ。
博物館のすぐ東には山畑12号墳や山畑2号墳が開口していることは今認識しました…(これを見ずして、と下調べ不足を反省)
最後の上りの途中にあった旧春日神社本殿。
一段高い場所に残る社殿(覆屋)
覆屋内に室町期の本殿が残っていることを、今知りました。
さらに150m程登ると墳丘が。
公園入口です。
金網の先に墳丘が。
立派な説明板。
五里山古墳群と五里山3号墳
五里山古墳群は、鳴川南岸の尾根の先端から土石流段丘上、標高120mから90mにわたる地域にある群集墳です。6世紀中頃から7世紀前半にかけて構築された横穴式石室をもつ11基の円墳からなっています。半壊しているものを含め5基(1~4号墳、11号墳)が現存し、1~3号墳は昭和43年に東大阪市の史跡に指定されています。昭和41年と平成20年に発掘調査が行われました。
3号墳は6世紀中頃築造された径16m、高さ4mの円墳です。玄室の長さ4.90m、奥壁幅1.93m、高さ2.2m~2.73m、羨道の長さ5.2m、幅1.63m~1.8m、高さ1.58mを測る、南南西方向に開口する右片袖式の横穴式石室があります。須恵器、土師器、馬具、鉄刀、鉄鏃など多くの遺物が出土しています。本古墳群内でもっとも早く造られた古墳です。組合式石棺とともに木棺に使用された鉄釘も見つかっており、7世紀前半まで追葬が行われていました。
平成21年3月 東大阪市
しかし、古墳への道には鍵が。
間近にいても、開口部も見えず。
眺めのいい場所にあります。
このすぐ近くの2号墳や、山畑古墳群の見事な石室は、平家蟹さまのサイトをご覧ください。
額田大玉さまも!