墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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二本松古墳 大阪府東大阪市六万寺町

前回の、近寄れなかった五里山3号墳ですが、グーグルアースでは開口部が見えていました。

 

そこからは南西に徒歩6分の二本松古墳へ。

グーグルマップのルートは一旦下って上るように見えたので、東の児童遊園の側から下ってみましたがあまり変わらなかったかも。

 

ここを右に入って手前側に折り返し、畑の脇の道を下りました。

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木立の中に見えてきた墳丘。

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頂部はシートとロープで保護されています。

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回り込むと開口部。入口の天井石がかなり傾いています。

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かがんで中を覗き込みます。

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ズームで奥壁を。

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玄室に進んで奥壁を。

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フラッシュを焚くと大きな石室。天井まで3m!

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奥壁を背にして。

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ノーフラッシュで。

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”古墳公園”の西側入口に説明板がありました。

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史跡 二本松古墳

生駒山麓一帯には、今から約1400年前にあたる6世紀後半から7世紀の初めにかけた古墳時代後期に、山麓で力を持っていた中小豪族達の大きなお墓である「古墳」が群集して造られました。
古墳は、南側に入口を持つ横穴式石室を内部主体としており、巨大な自然石を積み上げて造られています。
石室内は、通路としての「羨道」と、奥の墓室である「玄室」に分けられていて、死者は、木棺や石棺に納められて「玄室」に葬られますが、多くの古墳が通路までの空間に家族の人達の追葬を行っています。
東大阪市の山麓には、山畑古墳群・花草山古墳群・五里山古墳群(上四条町)など、たくさんの群集墳が分布しています。
二本松古墳は、六万寺町の山麓に営まれた小群集墳(六万寺古墳群)の一基で、北側の老人ホーム内に高塚古墳、西側の墓地内ほかに数基の古墳が知られます。
二本松古墳は、一辺約20m、高さ4.5mの方形墳で、内部の横穴式石室は、全長15.8m(玄室長4.5m、幅2.2m、高さ3.0m、羨道長11.3m、幅1.9m)を測り、山畑2号墳や愛宕塚古墳(八尾市)などに次ぐ巨石古墳です。
昭和39年に旧枚岡市教育委員会が調査した結果、盗掘されており、凝灰岩製の石棺破片多数や、各種の須恵器や土師器などの副葬品が出土したほか、中世の各種土器類・銭貨が出土しています。また、奥壁にそって出土した凝灰岩製の石棺材は、格狭間形のくり込みが施され、仏教文化の影響を受けためずらしい遺物です。
古墳については、平成3年9月30日、川上李夫・重野さんの遺志を受け、ご遺族のご厚意により、市に寄付を受け、同4年4月8日に東大阪市文化財保護条例により史跡に指定されています。
平成14年12月 東大阪市

 

そばにあった「中河内歴史探訪の道・その3」のマップ。

次に行先を、北西の瓢箪山稲荷神社の古墳とするか、西の埋蔵文化財センターとするか、南西の大賀世神社の古墳とするか、結構迷った末に埋蔵文化財センターに決めました。

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川沿いの道を下ります。

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風情のある街並みです。

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目的地まで約1㎞でした。

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