墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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散田金谷古墳 石川県羽咋郡宝達志水町

加賀市の古墳を見た後は海岸沿いを北上して、羽咋(はくい)郡宝達志水(ほうだつしみず)町の散田金谷(さんでんかなや)古墳へ。

 

グーグルマップに、墳丘のそばまで導かれました。

 

公式サイトでは、近くにある「古墳の湯」の駐車場利用を推奨。

散田金谷古墳【国指定文化財】/宝達志水町

 

石段を上がると目の前に墳丘。

 

説明板は陶板。

国指定史跡 散田金谷古墳
指定:昭和57年1月16日
所在地:石川県羽咋郡宝達志水町散田
管理者:宝達志水町教育委員会
遺跡の概要
宝達志水町は能登半島の基部に位置し、古来、火が、能登、越中の結束点としての位置を占めていました。散田金谷古墳は、明治36年(1903)に発掘され、武具、馬具、須恵器などの出土品から、6世紀後半の構築と推定されています。北陸地方で最大級の全長約10mの横穴式石室と、屋根に千木をのせたような形の家形石棺を内蔵する貴重な遺跡です。この志雄谷には他に10数基の円墳と5カ所の横穴古墳群があります。
墳丘
散田金谷古墳は、長径(石室主軸方向)21m、短径18.5mの長円形をなす円墳です。内部に大きな石室をもつことから、前方後円墳の後につづく豪族の墳墓と思われます。
石室
横穴式石室は入口(羨門)、通路(羨道)と墓室(玄室)から成ります。羨道と玄室の境は、両側の立石で示されています。玄室の長さ5.72m、奥壁幅2.65m、高さ2.76mです。
石棺
この古墳の石棺は、石川県唯一の家形石棺です。凝灰岩製で、外形の寸法は長さ2.3m、幅1.1m、高さ1.27mで、寄棟の屋根部に千木状の突起を削り出した蓋をもつ特殊なものです。

保存修理工事
石室の天井石落下や側壁倒壊の危険が生じたため、昭和59年から5ヵ年で保存修理工事を行いました。工事の内容は側壁上部のせり出した壁石の積み直し、天井石の再設置、失われたいた壁石・天井石の補充、墳丘復元盛土、石棺の石室内設置などです。天井石は現在6石ですが、補充した天井石は3石です。重さは最大7トンです。修復後の墳丘径は約20m、石室入口からの墳丘の高さは4.7mです。修理から約20年が経過し、石室内に漏水が生じたため、平成18年度から2ヵ年をかけて、防水層の修理と石室の排水整備を実施しました。

 

開口部へ回ります。

 

石室内見学希望者は生涯学習課へ事前に問い合わせくださいとのこと。事前準備の不足…。

 

それでも照明により、石棺が見えました。

 

ズームで。

 

墳丘を背面側から。

 

方向は南。

このあたりで比較的幅広い谷戸(幅500mほど)には、子浦川が流れています。


墳丘の背面側には散田天神社。神社の西側に「古墳の湯」「古墳公園」がありました。

 

石室内部の家形石棺の千木屋根状の蓋は、下記で動画が見られます。