墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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宮山2号墳(国史跡・大岩山古墳群) 滋賀県野洲市辻町

前回のつづき。 (2019年11月訪問)

宮山2号墳は桜生史跡公園と国道(中山道)を挟んだ東側、銅鐸博物館のある弥生の森歴史公園の敷地内に残っていた。

 

この日は月曜日で公園も博物館も休み。駐車場にもチェーンが掛かっていたので墳丘のみの見学。

 

南南西側に開口部を向ける横穴式石室。

 

すぐ横にあった説明板。

宮山2号墳
昭和60年(1985)2月7日国史跡指定
大岩山から北へ延びる尾根の東に位置するこの古墳は、昭和37年(1963)の銅鐸発見の契機となった土取り中に発見されました。石室の天井および奥壁の一部が無くなり、木の根等によって側壁も崩れそうになってきました。
1988年11月から1991年3月まで石材の補充、石室および墳丘の積み直しと、周辺の環境整備を行いました。
墳丘は、直径15m、高さ3.5mの円墳で、玄室(棺をおく部屋)と羨道(通路)をもつ横穴式石室は南南西に開いています。玄室内には、花崗岩を組み合わせた棺が安置され、棺の底石には側石を立てるために(梯子?)形の彫られています。
入口の両側には4段に石が積まれ、石室中から須恵器や耳飾りが出土しています。この古墳は、大岩山古墳群中最後の古墳で600年頃に築かれたものと思われます。
1991年3月 野洲町教育委員会

 

上記にあるように大岩山古墳群の中で一番最後に築かれた古墳。この古墳群では古いものが丘を降りた平野部に、その後次第に山側に、標高を上げた場所に築かれて行くようだ。

 

30年ほど前に”環境整備”がなされているので、とても見学しやすくなっている。 

 

中へ入ると自動でライトがつき、シャープに加工された石棺が現れた。

表面に縦横刷毛目のような模様があるようです。

 

奥壁の様子。 

 

フ石室をフラッシュで。壁には下から2段目まで大きな石を積んでいます。



 

石棺を真上から。

 

奥壁側から。

 

玄門に向かって左側。

 

逆サイドを。

 

奥壁と石棺の間に立って、開口部を。

 

石棺の底石の上部は、側面を構成する板石がぴったり収まるように削られている。

 

墳丘北東側にはゴルフ練習場。かつて宮山1号墳(前方後円墳)があった場所。

 

開口部を横から。