大室古墳群(その大室谷支群)シリーズも今回で”いよいよ”最終回です。
そこはエントランスゾーン北東端の鳶岩単位支群。
芝生広場から杉林の園路に入ります。石垣の上に並ぶ3基。
鳶岩単位支群の解説板もありました。
大室古墳群 大室谷支群
鳶岩単位支群
31・32・33号墳が分布するこの地区は、「大室古墳群 大室谷支群 鳶岩単位支群」と呼ばれています。史跡の入口周辺で整備を行った古墳は「大室古墳群 大室谷支群 村東単位支群」と別の単位支群(古墳のまとまり)に分けられ、互いに少し離れています。また、鳶岩単位支群には山裾部に古墳が造られるという立地や墳丘に土のみを用いた「盛土墳」があることなど、他地区では見られない特徴があります。
史跡整備事業では、史跡の入口となるこの一帯を「エントランスゾーン」と呼称し、「大室古墳群の屋外ガイダンス」として、古墳に親しんでいただくことを目的に整備を行いました。古墳は以前の状況を踏まえて、前から、横から、上から、盗掘坑からなど、様々な位置から見学できるようにしました。また、ゾーン内の樹木は伐採し、後世に造られた石積みなどは解体して、古墳が造られた当時の地形を再現しています。
この地区では、植林された杉林の中に、近代以後の果樹園や桑畑のために造成された段々畑と一体化した古墳の状況を整備しました。古墳が造られた後、様々な土地利用によって古墳の形態が変化していく様子を示しています。古墳時代の地形を再現したエントランスゾーンの他地区と景観が大きく異なりますが、この両者を比較してみることで、悠久の時の流れを感じることができるのではないでしょうか。
長野市教育委員会
31号墳は大きな開口部ですが、点検中で入室禁止でした。
手前から内部を。
解説板も。
31号墳
■墳形 円墳(直径約14m)
■埋葬施設 横穴式石室(両袖形)
■年代 7世紀前半
整備前には露出した横穴式石室の上に小屋組みが、墳丘を掘り込んで階段状の沈殿槽が設置されるなど、後世の二次利用により大きく改変されていました。発掘調査の結果、土のみによる墳丘が確認されました。土の墳丘を持つ盛土墳は大室古墳群では少数例で貴重な古墳です。長野市教育委員会
開口部を横から。石垣は後世の改変(段々畑)でありました。
その右上の見学広場。
32号墳の墳丘。左の方の盗掘坑から覗きます。
内部の様子。
その解説です。
32号墳
■墳形 円墳(直径約10m)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 7世紀前半
近代以降の開墾により大きく改変されていますが、横穴式石室上部を覆う墳丘が残っていました。また、横穴式石室は奥壁側に盗掘坑が開き、中を覗くことができますが、入口は埋まっています。このため、整備では古墳の現況をそのまま残し、墳丘範囲のみを表示しています。長野市教育委員会
振り返ると31号墳の天井石。
32号墳の奥に33号墳。
回り込んで開口部を。
ロープで区画されているので、ズームで。
限界までズームして。
解説板。石の間に、固まる特殊な土を充填して補強されています。
33号墳
■墳形 円墳(直径約10m)
■埋葬施設 横穴式石室
■年代 7世紀前半
整備前には墳丘に西側が近代以前に開墾された段々畑の石積みと一体化し、東側の墳丘は流出して横穴式石室が露出していました。石室は壁面に多数の亀裂がみられ、非常に危険な状態でした。このため、石室の石の間に固まる特殊な土を詰めて補強し、墳丘を一部復元しました。長野市教育委員会
以上で、大室古墳群の史跡指定エリア巡りレポートは終了です(全体の数分の一ですが)
8時半過ぎに着いて、気づいたら3時間近い滞在。
この後に、山塊南側の菅間大塚古墳を訪ね、善行寺平の対岸の姫塚古墳までを巡った、2022年4月8日の古墳旅でした。