墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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菅間王塚古墳 長野県長野市松代町

2022年4月8日は長野の大室古墳群をメインに日帰り墳行しました。そのレポートはいずれしますが、そこから南3㎞ほどの古墳を訪ねたら、桃源郷(あんずの花なので杏源郷?)であったので先に報告いたします。

いつものようにグーグルマップで「古墳 号墳」と入力して出てきた沢山の印から、いくつか選んだ一つが菅間大塚(すがまおおづか)古墳でした。

 

道が狭いので、ちょっと離れた場所に車と停め歩いていて、たまたま外にいらした方に道を訊くと自分の敷地を通っていくと近いとのことで、お言葉に甘えての南側からのアプローチ。

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あんずの花が満開一歩手前。奥には北アルプスの白銀屏風。

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長野県史跡です。

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長野県史跡 菅間王塚(すがまおうづか)古墳
指定:昭和40年2月25日
所在地:長野市松代町東条字菅間976
この古墳は、奇妙山に連なる南西斜面、産地から山麓へと至る傾斜変換地の標高478m鵜金に築造された積石塚古墳である。この古墳の山側には直径19m、高さ4.3mの積石塚状の円墳が1基隣接している。
墳丘は、近くで産出する人頭大の安山岩質石塊のみで積み上げられた円墳で、直径34m・高さ6.7mを測る。墳頂部は比較的平坦で、中心よりやや山側に埋葬施設が露出しており、後付けされた横穴式石室である可能性が考えられる。
正式な発掘調査ではないが、露出している埋葬施設とは別の埋葬主体部が、昭和45年頃に確認された。現在は埋め戻されているが、墳丘表面から約1.2m下で、長さ3.5m、幅1.25mを測る赤色塗彩された合掌形石室である。長側壁に左右4枚、短側壁に1枚ずつの厚みのある板石を並べて基部とし、天井石として長側壁側に3枚、短側壁側に2枚ずつの板石を内傾させて立てかけている。写真や実測図などの資料がなく、また出土遺物も確認されていないため、6世紀前半頃というおおよその築造時期が推定されているにすぎない。
この古墳は、長野県下最大規模の積石塚公ンであり、また特異な合掌形石室を内部主体としていたようであり、古墳時代中期から後期にかけての長野盆地の様相を探るうえで、きわめて貴重な古墳である。
平成20年1月21日
長野県教育委員会

 

希少な積石塚古墳!

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回り込んで上った墳頂。

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こちらが、後付けされた横穴式石室?

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埋め戻されているという合掌形石室の痕跡はわかりませんでいした。

 

雪山が本当にきれいでした。鹿島槍の双耳峰や五竜の山塊が見えていると思います。

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斜面下から見上げた菅間王塚古墳。

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すぐ南には、皆神山が見えました。

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場所はこちら。

 

正しくは。ここから左に入ります。

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まっすぐ先の緑の道を登った先。

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たまたま、「あんず祭り」があったので寄ってみました(サブ駐車場)

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あんずの花を堪能しました。

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