墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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八雲立つ風土記の丘・岡田山2号墳 島根県松江市大庭町

展示館で特別展を堪能した後は岡田山古墳群へ。

古代の住居が復元されたエリアを通り抜けます。

 

その前に、移設された箱式石棺がありました。

箱式石棺(松江市東津田町・東光台古墳)
箱式石棺は板状の石材を箱形に組んだ棺で、古墳時代の一般的なお墓の一種です。この箱式石棺は大橋川に面した東津田町石屋の丘陵尾根上で発見され、発見時には人骨に一部が残っていました。
出土した人骨には朱(水銀を原料とした赤色顔料)が残っていました。朱は長い年月が経っても色あせないことから永遠の魂を祈って遺体に塗ったと考えられます。
この箱式石棺では、頭に当たる部分にV字形に石を組んで石枕を作っているのが特徴的です。

 

現地で解説を読んでおらず、「V字形に石を組んだ石枕」を見逃してしまいました…

 

その先に古墳時代の住居(の復元)

竪穴式ですが平面が四角で、室内に炉があります。

古墳時代の住まい
この家屋は、古墳時代の建物を推定復元したものです。
このような形の建物は竪穴住居と呼ばれ、縄文時代から奈良時代ごろまで、庶民の住居として用いられていました。
復元のもとになった風土記の丘地内・大草町宮ノ後の住居跡は地面を50~60㎝掘り込んで、4本の柱で屋根を支えるもので、北側の壁近くに炉が作ってありました。
屋根の構造は家形埴輪などを参考にして復元し、棟の押さえは神社建築や兵庫県・山口県の古い民家の棟飾りをもとに整えています。

 

奈良時代になると住居は竪穴式でなくなり、壁のある掘立柱(ほったてばしら)建物になります。

奈良時代の住まい(掘立柱建物)
この家屋は渋山池遺跡(東出雲町)で発見された建物跡をモデルに奈良時代の一般的な住居を推定復元したものです。発掘調査では地面に残された痕跡しか判りませんが、その上屋を推理を交えて復元してみました。
掘立柱建物とは、穴を掘り柱を埋め立てて屋根を乗せる構造で、竪穴住居と異なり高い壁が立ち、切妻屋根が載っています。県内の遺跡で発見された柱の多くはクリ材でしたが、現在では柱材となるようなクリ材を入手することが困難なのでヒノキで代用しています。奈良時代の建物は倉庫などを除き床を張らないのが一般的で、この復元建物でも内部は土間としました。発掘調査で屋根や壁材が発見される例はほとんどありませんが、窓については、三田谷Ⅰ遺跡(出雲市)出土の木製品を参考に製作しました。
掘立柱建物は弥生時代頃から増加を始め、奈良時代には一般的な構造になります。県内の平野部では、っ古墳時代を最後に竪穴住居は見られなくなり、多くの住居は掘立柱建物になります。

 

そこから公園の奥へと進んだ丘陵の北東端に岡田山古墳群がありました。

まずは岡田山2号墳。

「古墳にのぼらないでください」の立て札あり。

 

直径44mの円墳です。

岡田山2号墳
直径44m、高さ5.4mの大形円墳である。墳丘は2段に築成されており、斜面には葺石が施されている。
古い文献には埴輪の存在が記載されているが、詳細については不明である。
出雲地域では、40m以上の円墳は7基しか確認されておらず、意宇(おう)平野を一望できる立地からも、きわめて重要な古墳といえる。
未発掘であるため詳細は明らかではないが、出雲地域の大形円墳の様相から推測すると、古墳時代前期末から中期頃(4世紀末~5世紀)に築造された古墳とみられる。

 

周溝もあるように見えました。

 

おぼろげに二段築成が感じられる?