北江間横穴群訪問の際、その前に2ヵ所訪ねたところがありました。
その一つが平石古墳群の4号墳。
丘の上の住宅街の縁に入口のサインがありました。
この角度でカメラで撮ったはずが、今回もSDカードを抜いたままだったというミス…
というかストリートビュー、凄いです。
サインのところから少し斜面を斜めに降りていくとすぐに説明板が。右上の樹木の後ろは先ほどの道路沿いの民家です。
緩斜面に築かれた円墳です。
開口部の逆サイドから。天井石が露出。
その説明板。
平石古墳群について
平石古墳群は、ここ第4号墳を最大として6基の円墳から構成されており、守木・平石と一部は田京・北山に分布しています。
(この6基とは別に、昭和40年代の前半まで、現在の立花3丁目となっている台地上には、少なくとも数基の古墳が存在していたようです)
昭和5年(1930)に刊行された「静岡県史」第1巻によれば、この第4号墳は、大正5年(1916)3月、道路修復工事の際に発見されたといいます。
当時、古墳の一部が発掘されて、羨道部(石室への入口付近)から須恵器類、石棺内から刀身が出土したといわれます。それらの遺物は、東京国立博物館と随応寺(守木)に保管されています。
昭和47年(1972)の8月から9月にかけて第4号墳の本格的な調査が行われました。
その結果、直径約14m、高さ約3mの円墳で横穴式石室の内部には、変形の家形石棺とも呼ぶべき組み合わせ式石棺が内蔵されていることが分かりました。
出土した刀身や鉄鏃、須恵器などの遺物から、構築時期は7世紀の中頃であると思われます。
平成29年1月 伊豆の国市教育委員会
南側に回ると開口部。こちら側は柵の鎖はありません。
羨道部にあるこちらも石棺でしょうか。説明板には石室内部に「変形の家形石棺とも呼ぶべき組み合わせ式石棺が内蔵」とあるのですが…
上位置から見た様子。
中の様子が気になります。
きれいな床面でしたので躊躇なく入室。
磨かれたような奥壁の面。石の模様は当初からのものでしょうか。
道路から下る途中にも天井石らしきものが。
6基のうちのひとつでしょう。
昇寛さんは2014年1月に、ふっき~さんは2019年9月に訪ねられています。
住宅がある丘から降りる途中で美しい富士山が拝めました。