墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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高槻市埋蔵文化財調査センター 大阪府高槻市南平台

安満宮山古墳などを見た後は、西隣の舌状台地にある阿武山古墳を目指しましたが、その間に高槻市埋蔵文化財調査センターがあったので立ち寄りました。

 

台地斜面を造成した南平台の住宅街の一画にあります。

 

昭和50年に全国に先駆けて開館した埋蔵文化財調査センターです。

市立埋蔵文化財調査センター
市立埋蔵文化財調査センターは、市内の埋蔵文化財を調査・研究し、出土遺物等を整理・保存する施設である。眼下に三島地方を見下ろす南平台丘陵にあり、専門の調査機関として昭和50年10月、全国に先駆けて開館した。
本市には、今城塚古墳や阿武山古墳、嶋上郡衙跡などに代表される史跡をはじめ約500ヶ所もの遺跡があり、「文化財の宝庫」ともいわれている。
当センターでは、これらを調査して祖先の足跡を研究・保存しており、延べ床面積は1532.07㎡。
1階には、出土遺物を保存するために収蔵室や木製品を水槽の中で保存する特別収蔵室、2階には土器類を復元する整理室、遺物を写真で記録保存するたえの写場(撮影室)、製図室などがある。
また、ロビーで貴重な文化財の一部を展示しているほか、前庭では、竪穴式住居や、脇塚古墳群から移築復元した横穴式石室を公開している。
長い歴史に培われた文化財は、先人が残した貴重な遺産である。私たちは、祖先の知恵の素晴らしさ、文化財愛護の大切さを、これらの文化財から知ることができる。
平成元年3月 高槻市教育委員会

 

学校のような建物ですが、専門機関とした建てられたのが素晴らしいです。文化財調査の歴史を感じます。

 

エントランスに展示スペースがありました。

 

目を惹くのは家形石棺。

 

出土状況の写真と解説も。


梶原D-1号墳の出土。

家形石棺
~梶原D-1号墳 西暦570年ごろ~
市域の東部、淀川を見下ろす梶原地域の山裾には、6~7世紀に営まれた梶原古墳群があります。
ここに展示した組み合わせ式の家形石棺は、同群最大の円墳、直径25mの梶原D-1号墳の石室に据えてあったものです。大阪・二上山で産出する白石(凝灰岩)の板石を用いており、長さ227㎝・幅115㎝・高さ113㎝あります。
金色に輝く馬具や、ガラス玉・銅鏡・土器類などの副葬品も多数出土しました。なかでも、双葉剣菱形杏葉という馬飾りは、若狭の丸山塚古墳など他に数例しかない、めずらしいものです。
梶原D-1号墳がつくられたのは西暦570年ごろ。三島では、二上山白石製の石棺は今城塚古墳に次ぐもので、ここに葬られた人物は、淀川の水上交通にかかわって、大和政権の政治・経済の大動脈を維持した豪族の王dと考えられます。
なお、石室は、市立上牧小学校に移築しています。

 

近くに置かれていた蓋のほうは、別の古墳のものでしょうかね。

 

入館無料ですが、土日祝が休館。

高槻市立埋蔵文化財調査センターのご案内 - 高槻市ホームページ

 

つづく。