前回の若宮古墳から北西に約2㎞、三次市街地を西端から見守るように立地しているのは岩脇古墳。
古墳公園としても整備されています。専用駐車場はありません。
詳しい説明板。南向きの斜面に弥生期墳丘墓、その上に小円墳群、最上部に大型円墳が築かれています。
広島県史跡 岩脇古墳
所在地:三次市粟屋町字柳迫
指定年月日:昭和32年(1957)9月30日
丘陵の頂上に位置する大型の古墳(岩脇第1号古墳)と、第1号古墳を取り巻くように位置する6基の小型の古墳によって構成されています。
岩脇第1号古墳は、直径約31m、高さ約3.5mの円墳です。墳丘の頂上部には、内法長さ約2.4m、幅0.7mの竪穴式石室1基と、それを取り囲むように箱形石棺4基、石蓋土壙1基がつくられています。出土品はありませんが、石室の構造などの特徴から古墳時代前期(4世紀)の可能性と考えられています。
周囲の古墳は、いずれも直径6~8m程度の円墳です。埋葬施設の構造などは不明です。
第1号古墳は三次市街地を一望できる場所にあり、墳丘の規模も県内の大型円墳にあたることから、古墳時代前期のこの地域を代表する有力者のものと考えられます。墳頂部に6基もの埋葬施設がつくられるあり方は、家族墓的性格を示すものと推定されており、周囲を取り巻く古墳の被葬者とあわせて、古墳時代前半期の地域の有力者のありようをうかがわせる良好な事例です。
なお、古墳南側の斜面には、四隅突出型墳丘墓を含む、弥生時代の墳墓群が保存されています。四隅突出型墳丘墓は、弥生時代の中期後半から終末にかけて、県内の江の川流域・島根県・鳥取県・北陸地方に分布する独特な形態の墓で、三次市内では矢谷古墳(東酒屋町)と陣山墳墓群(四拾貫町)が国の史跡に指定されています。
平成28年3月 三次市教育委員会
上記解説には四隅突出型墳丘墓が含まれるとありますが、現地ではよく判りませんでした。
この石群の手前あたりが、四隅の突出部でしょうか。
斜面の同じレベルに露出した石室が。
一段下にも。
斜面端から振り返って。
斜面を上がると桜に囲まれたベンチ。
輪になって宴会してください、とベンチが語っているよう。
そのレベルにある可愛らしい円墳。柵の向こうの介護施設にも1基。
見上げると岩脇第1号古墳。
端正な形で残る円墳です。
墳頂には埋葬施設が!
奥が竪穴式石室(右が蓋石)、手前が土壙墓でしょうか。
奥側から振り返って。
先の解説では、2.4m×0.7mの竪穴式石室1基と、それを取り囲んで箱形石棺4基、石蓋土壙1基との記載でした。
竪穴式石室の中にカメラを入れて。
南東方向、三次市街が一望できる素晴らしい立地。
真東には介護施設の建物がありますが、かつての雰囲気は想像できます。
さらに左を。
桜の時期に再訪したいと思いました。
江の川に合流する手前の馬洗川に架かる鉄橋は、4年前に廃線となった三江線ですね。