墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大元古墳群(1号墳・2号墳) 島根県益田市遠田町

大元(おおもと)古墳群は前回のスクモ塚古墳から東に1.9㎞、丘陵を一つ越えた先で車で6分でした。

 

集落の道沿いに案内標柱。

 

その先の様子。駐車スペースは無く、目の前の道幅も狭いので、広い所を探す必要がありました。

 

民家の横を上がって行くと

 

古墳の案内表示。

 

その先にも、要所要所に表示があって助かりました。

 

最後は開けて墳丘出現。

 

地元の方(?)による手作りの説明板でしょうか。

大元古墳の由来
益田市教育委員会調
ここ大元古墳は、全長87mに及ぶ県下最大級の前方後円墳でる。後円部の北側と南側が昭和58年の山陰豪雨災害で被害を受けたが、盗掘は受けておらず、是のうぶ2段、後方部(※後円部?)4段の良好な姿で残っている。古墳時代前期(4世紀)から中期(5世紀)前半でのものと推定され、石見地方に現存する最古の古墳で、益田地方での最有力首長の墳墓である。なお、前方部の前には円墳が隣接し、安田が誇る最大の遺跡である。
平成9年4月吉日 (後略)

 

説明板の後ろが2号墳(円墳)で、その向こうに大きな1号墳。声が漏れます。

 

その先にある説明板。墳長88mの前方後円墳です。

国指定文化財 大元古墳群
指定:令和2年3月17日
大元古墳群は、前方後円墳の1号墳、円墳の2号墳及び円墳状の3号墳からなっています。
1号墳は石見地方では最大の古墳で、全長が88m、後円部の径は50m、高さは7m、前方部の長さは40m、前端部の幅は31m、高さは4.3mあります。くびれ部の幅は24mで、後円部に対して前方部頂は2.7m低くなっています。北側のくびれ部には造り出しを持ち、後円部は4段、前方部は2段築成で周濠はありません。
墳形及び後円部から出土した埴輪の特徴により4世紀末から5世紀初めに築かれた前方後円墳と考えられます。三角縁神獣鏡が出土した4世紀の築造と考えられる四塚山古墳に次いで築かれ、5世紀代のスクモ塚古墳、さらに6世紀前半に築造された小丸山古墳へと続く首長墓のひとつと考えられます。
2号墳は、1号墳の前方部に隣接して築造され、直径15m、高さ1.2mで、墳丘が明瞭に残っています。
3号墳は、2号墳の西側に位置する不明瞭な高まりですが、直径12m程度の円墳であった可能性があります。
益田市教育委員会

 

実測図部分。右上が北。

 

前方部右裾から。

 

前方部に上がって後円部方向を。

標高71mの尾根上に立地。

 

前方部先端側、2号墳を振り返って。

 

側面は両側とも急斜面。こちらは北側。


南側。木々の向こうに、遠田川沿いの細い平野部が見えそうでみえない。


鞍部から後円部を。

 

後円部墳頂。奥は前方部。

 

後円部から、少しだけ見えた日本海。

 

ズームで。

 

墳丘の北側斜面。くびれ部にあるという造り出しは分かりませんでした。

 

下へ降りて見上げた鞍部。左が後円部。


パノラマで。

 

実測図の3号墳のあるあたり。墳丘らしき痕跡は把握できなかったです。

 

下記の、youtubeでは3号墳は最新の調査の結果、古墳では無かったのこと。

R5第1回いにしえ倶楽部連続講座「スクモ塚古墳・大元1号墳-日本海沿岸の大首長墳の調査-」 - YouTube

 

文化遺産オンラインによれば、古墳時代前期の前方後円墳としては本州の日本海側で最も西に築造されたものになるそうです。

大元古墳 文化遺産オンライン