墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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はざみ山古墳 大阪府藤井寺市野中

前回の、野中宮山古墳の北、県道31号をはさんで逆向きに頭(?)を向ける「はざみ山古墳」

 

県道からちらちら見える墳丘。駐車場があったので近寄ってみました。

 

右(東)には前方部の左裾。水を湛えた周濠です。

 

墳丘左側面に正対して(左が後円部、右が前方部)

左寄りが鞍部でしょうか。

 

西の後円部方向。

 

回り込んでいって後円部の先端側(西)から。

 

その説明板。築造時期は中期中葉。野中宮山古墳の築造は中期前葉なので、はざみ山古墳のほうが後ですね。

はざみ山古墳
国史跡1996年3月29日指定
藤井寺市野中1丁目
時代:古墳時代 中期中葉
墳丘長:103m
出土したもの:円筒埴輪、家、盾、蓋形などの形象埴輪
墳丘は3段に築かれ、くびれ部の両側に造り出しが設けられています。後円部の頂上には盗掘坑があり、ここから石棺が発見されたと伝えられています。周囲には一部が埋没するものの、濠が巡っています。その外側には幅の広い堤が取り巻いています。
出土した円筒埴輪には大型の円筒埴輪が含まれるほか、形象埴輪が出土しています。
藤井寺市 平成28年3月

 

古墳公園として整備できそうな雰囲気があります。

 

北側へ回ると濠には水が。

 

幅もあります。前方部方向。

 

前方部方向の奥に見えている「山」が誉田御廟山古墳(応神天皇陵)でした。

 

今回も「古市古墳群をあるく」によれば、はざみ山古墳は後円部径60m・高さ9.5m、前方部幅66m・高さ9.1mで盾形の周堀を持ちますが、戦前の土取りで変形を受けたり(特に後円部北西側)、堀水の浸食などで一回り小さくなっているとのこと。

周堀の後円部側(説明板のある方)は古くから埋め立てられ水田になっていて、堀の形が和鋏に似ていることから「はさみ山」と呼ばれていたそうです。