墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鶏塚古墳(京泉シドミ原古墳群13号墳) 栃木県真岡市京泉

今回からは2022年4月3日に訪ねた、栃木県の古墳の続きです。

小宅古墳群・前編 栃木県芳賀郡益子町小宅 - 墳丘からの眺め

 

小宅古墳群の次に訪ねた鶏塚古墳は、小貝川の支流の五行川左岸の微高地に立地。

 

すぐ近くの、京の泉公園に駐車。

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公園から東方向。少し上る道の左右に墳丘が。

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少し進んで振り返った西側。450m先、奥の木立の手前に五行川が流れます。

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南方向。左の微高地の先の木立、相宮神社境内の墳丘にも後で立ち寄りました。

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北側はビニールハウス。

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十字路の右角、民家の庭に、京泉シドミ原古墳群14号墳。

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十字路の北側に鶏塚古墳(同古墳群の13号墳)

 

その十字路を北に曲がります。

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民家の敷地のようですが、塀が途切れて入れる仕様に。有難いです。

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その説明板。

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栃木県指定 鶏塚古墳
昭和32年8月30日指定
鶏塚古墳は、京泉にあるシドミ原古墳群の一つで、高さ約2.5m、南北径18mの円墳である。この古墳は、明治18年(1885)に発掘され、石室内から直刀・勾玉・管玉・鉄鏃・鈴釧・耳環・馬具類が出土している。
その後、昭和5~6年には墳丘西側の調査が行われ、子を背負う女子像や、琴を弾く男子像、鶏等の埴輪等が出土した。
鶏埴輪の完全なものや、鶏の首部が多数出土したことから鶏塚古墳と呼ばれる。古墳の出土品は、東京国立博物館に所蔵されている。
この古墳は、横穴式石室が墳丘の西南部に口を開き、羽子板状の石室で、天井には自然石6枚を並べ、両壁は玉石を積み、奥壁は2枚の巨石を積み重ねられており、完全に保存されている。
本古墳の年代は、狭長な横穴式石室、副葬品、円筒埴輪等の特徴から6世紀後半代の築造と考えられる。
昭和62年3月 真岡市教育委員会

 

埴輪配列推定図の部分。開口部の左に女子と鶏、右に男子の埴輪群が立てられていたようです。

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鶏の埴輪はこちらで画像が見られます。


マップにて周辺に、他にも数基の墳丘が残っていることを知りました。

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青いゴム板の上を進んでいくと…

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木の根に開いた穴が。

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新しい花が供えられていました。ちらりと見える側壁の川原石。

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花の横からフラッシュで撮らせていただきました。漬物石ほどの大きさの石が見事に積まれています。

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解説板前の道を北に進んですぐ右手、この木立のあたりが12号墳だと思いますが視認できず。

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その先のお宅の敷地内に8号墳。

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塀が無いので良く見えました。

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次回につづく。