釜塚古墳は、前回までの三雲、曽根遺跡群から5㎞ほど西の、南東側の宮地岳の麓の低地に立地。古代、目の前の糸島半島との間は、海面(湾)だったようです。
団地の公園的な雰囲気ではありますが、周溝分はスペースが残されていて風格が感じられます。径56mの円墳で、周濠と外堤も含めると径89mになるそうです。
一つ目の説明板。5世紀前半の築造と考えられています。
国指定史跡 釜塚古墳
昭和57年5月7日指定
糸島市神在字釜塚
釜塚古墳は5世紀前半(古墳時代中期)に築かれた直径56m、高さ10mの北部九州最大級の円墳です。墳丘は3段に築かれ、斜面には葺石を貼ります。古墳の周囲には幅5~8mほどの周濠が巡り、東側では一部に外堤も築かれていました。墳丘からは円筒形、朝顔形、盾形、家形の埴輪の破片が出土しています。
墳丘頂上地下には、割石を小口積みにした古式の横穴式石室があり、竪坑状の墓道から短い羨道を経て石室にいたります。横穴式石室は4世紀の後半に朝鮮半島からわが国に伝えられた新しい埋葬施設で、わが国での石室構造の変遷を知る上で貴重です。(石室は崩壊から守るため、現在、埋め戻しています)
石室内には箱式石棺が安置されたと伝えられますが、副葬品等については不明です。
糸島地方を治めた大首長の墓のひとつと考えられ、近隣の一貴山銚子塚古墳とともに、糸島市を代表する古墳のひとつです。
糸島市を代表する貴重な文化遺産です。みんなで大切に保存しましょう。
墳丘と石室の実測図部分。埋め戻された石室は竪坑からいったん降りて横に向かう、北部九州型の初期横穴式。
団地側(西)から。3段築成とありますが現状は+2段ぐらい。
きれいな同心円になっているのがグーグルアースでもわかります。
北側に回り込むと儀仗が一対。
もう一つの説明板。周濠から出土した石見型木製品を復元し、渡り土手が検出された場所の両側に立てています。
国指定史跡 釜塚古墳
昭和57年5月7日指定
糸島市神在字釜塚
釜塚古墳は5世紀前半(古墳時代中期)に築かれた直径56m、高さ10mの北部九州最大級の円墳です。墳丘は3段に築かれ、築造当時はすり鉢を伏せたような端正な姿でした。
古墳の周囲には幅5~8mほどの周濠が巡り、平成13年度の発掘調査で墳丘と外部をつなぐ土橋(渡り土堤)が確認されました。
周濠から石見型木製品とよばれる特殊な木製品が出土しました。石見型木製品は全長204.8㎝で、古墳を邪霊から護るために墳丘に立てられた祭具とされ、国内の出土例としては最古のものです。古墳でとり行われる祭祀を知る上で重要であるとともに、石見型木製品出現の鍵を握る貴重な資料です。
糸島市を代表する貴重な文化遺産です。みんなで大切に保存しましょう。
糸島市教育委員会
出土した木製品の長さは2m超。結界感が強いです。
2022年12月に、羽曳野市の峯ケ塚古墳で出土して話題になった木製品も同様タイプ(あちらは現存長で3.5m、5世紀後半の前方後円墳)
日本最大の木製埴輪出土、大阪 峯ケ塚古墳、長さ3.5m | 共同通信
大阪府羽曳野市の峯ケ塚古墳で、木製埴輪(はにわ)「石見型木製品」が出土しました。長さ約3.5メートルで日本最大です。峯ケ塚古墳は世界遺産、百舌鳥・古市古墳群の構成資産の一つです。https://t.co/6inf5qbo6S
— 日経関西 (@nikkeikansai) 2022年12月8日
墳丘に上がらせていただきます。
3段目あたり。北方向。
最上段の墳頂は、平らですが広くはなく。
西側の神在団地。毎日墳丘を眺められる住まいです。カメラごめんなさい。
建物の向こう側にJR筑肥線の加布里(かむり)駅があります(出入口は逆側)
墳頂の板石は天井石でしょうか。
最初の説明板にあったQRコードをたどると、こちらの動画に。
4分半ぐらいからが釜塚古墳で、石室のCG再現も見られます。
団地と反対側は墳裾まで道路が通っています。
一周して、再び南側から。