益田岩船と沼山古墳を見た後は、貝吹山の反対側(南)に展開する与楽(ようらく)古墳群へ。
与楽カンジョ古墳、与楽鑵子塚古墳、寺崎白壁塚古墳を含む古墳群で、3基の周辺には同時期の円墳などが100基程あり、出土遺物や石室形態などから渡来系氏族の東漢氏(やまとのあやうじ)の墓域と考えられるそうです(「古墳図鑑」より)
ストリートビューで、南側の道路から。墳丘前に2,3台停められるスペースがありました。
ピラミッドのような姿。北から伸びてきた舌状丘の先端に築かれています。
手前側は斜面に新しい芝生が貼られています。
コンクリで防護された石室入口。
しっかり施錠されています。
近寄ると灯りがつきました。
扉の外からではありますが、石舞台を凌ぐその石室高に圧倒されます。
床面には棺台。漆喰製で木棺が置かれていたようです。
奥壁は、きちっと組まれたパズルを見ているようでした。
広角で。側壁も巨石。
天井石を。
下記は、現地にあったパンフ(高取町教育委員会製作による高取埋蔵文化財マップ第4版)より転載。
国指定史跡 与楽カンジョ塚古墳
大字与楽にある与楽カンジョ塚古墳は一辺36mの墳丘の南裾から高さ11mの方墳である。墳丘南面に石室、玄室は長さ6m・幅3.8m・高さ5.3mを測る。大型の閃緑石を5段積んだ石室を構築した両袖式で、羨道の長さ約5.3m、玄門の幅1.5mを測り、羨道の先端は拡がっている。玄室内に漆喰をペースト状に固めた棺台がある。石室内から金銅製耳環・銀製指輪、不明鉄製品、砥石・須恵器・土師器が出土した。カンジョ古墳は玄室の平面規模に比べ天井までが高いドーム型の石室で、高さでは奈良県で一番である。古墳の築造は7世紀前半と考えられる。また、羨道閉塞石の下から8世紀初頭の須恵器杯が出土した。カンジョ古墳を含め与楽古墳群は石室形態や出土遺物から渡来系東漢氏と考えられている。
観光協会のサイトにも解説が。
昨年に一度室内に入れるツアーがあったようです。
埴輪づくりと五感で知る高取の古墳(モニターツアー) - 高取ニューツーリズム協会
橿原市さま、「ふるさと納税ツアー」をぜひまたお願いいたしたく。
開口部前から南側の眺め。
墳丘を背面側から。隅のラインがぴしっと復元されています。
そのあたりから北を見ると、奥に与楽鑵子塚古墳が見えます。距離300m弱。
ズームで。
2024年4月上旬訪問