墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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橘塚古墳 福岡県京都郡みやこ町勝山黒田

前回の庄屋塚古墳からさらに南西に750mに、今回の墳行の主目的地、橘塚古墳があります。

 

墳丘は黒田小学校の敷地を通って行くので一言ご挨拶します。早朝でしたが開門していました。

 

校舎の右に金網で囲まれた箇所が。(施錠はされていません)

一段地面が低くなっています。

 

古墳の標柱と開口部。

 

トンネルの入り口のようなサイズ。


開口部を正面から。

 

説明板もあります。

国指定文化財 橘塚古墳
この古墳は、6世紀末頃の築造で、花崗岩の巨石を用いて築いた複室構造の石室を持つ古墳です。近くには約500m西に綾塚古墳(7世紀初頭の円墳)、北東約750mに庄屋塚古墳(6世紀中頃の前方後円墳)があります。
橘塚古墳は小河川によって形成された微高地の上に築かれています。墳丘は、黒色と赤褐色の粘質土が交互に積みあげられており、直径約40mの円墳とされていました。
平成7・8年に実施した現況確認調査の結果、墳丘が円墳ではなく方墳であることが判明しました。調査の結果から、本来の墳丘の規模は南北約37m、東西約39mのやや横長長方形であったと考えられます。また、墳丘のまわりには幅6.5~9.95mの周溝が巡っていたこともわかりました。
現在、石室の長さは16.3mですが、調査時に石の抜き取り痕が確認されたことから本来17.5m前後であった可能性があります。玄室は幅3.2m、奥行4.0m、前室は幅2.2m、奥行3.2mでともに縦長の長方形です。天井の高さは玄室が3.8m、前室が3.3mです。
前室では敷石が残っていましたが、玄室と羨道部の敷石は部分的にしか残っていませんでした。玄室にある敷石を抜き取った穴からは中世の土器が出土しており、すでにその当時に開口していたことが明らかになりました。石室内から前面の周溝にかけては副葬されていたとみられる須恵器片が出土しました。須恵器には6世紀末頃のものが含まれており、この古墳の築造年代を示すものと考えられます。
みやこ町教育委員会

 

開口部で2.9mの高さ!

 

羨道部から前室へ。

 

前室から玄室を。

 

玄室の奥壁を。高さは3.8m

 

巨大な天井石。

 

奥壁を背にして。石室全長16m!

 

前室から開口部を。

 

羨道も巨石。

 

開口部を東側から。

 

引いた位置で。墳丘の樹勢が良くて墳丘の形は把握できず。


二宮金次郎像の台座も立派な石材でした。

2023年9月上旬訪問