前回の赤坂天王山古墳の次に訪ねようとして、山中に迷った花山東・西塚古墳にて、1時間ほどロスしてしまった関係で、予定していた2,3基を次の探訪機会へ回し、比較的に訪ねやすい街中の古墳へ向かった。
谷首(たにくび)古墳は、阿倍文珠院のすぐ南側に立地する。
丘上の住宅街の中に忽然とあった。
説明板あり。一辺35m前後の方墳。
史跡 谷首古墳
昭和33年3月20日指定
寺川の左岸、多武峰から北にのびる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置する。標高100m前後の地点にある方形墳で、谷汲古墳とも呼ばれている。墳丘の各辺は方位とほぼ一致し、規模は現状で、東西約35m、南北約38m、高さ約8.2mである。墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があり、墳丘に資側は古墳築造当初の形状を保っていない。
埋葬施設は南に開口する両袖式の横穴式石室であるが、東側の袖が非常に短く、片袖式ともいいうる。石室の規模は玄室長約6m、幅約2.8m、高さ約4m、羨道長約7.8m、幅1.7m、高さ1.8mである。石室は花崗岩の巨石を用いて築かれており、奥壁2石、玄室天井石2石、羨道天井石は4石からなる。
石室内は礫が敷かれており、凝灰岩の細片も見つかっているので、石室内には石棺が納められていたようである。古墳の作られた年代は、石舞台古墳や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と推定されている。
平成2年3月
奈良県教育委員会
斜めに傾いた天井石は、手をついてくぐる。
その先は巨石で組まれた羨道で高さもある。
そして立ち現れた玄室。
奥壁は2つの巨石。
人を入れるとサイズが分かりやすい。高さは4m。
奥壁を背にして羨道側。
羨道内から開口部。