墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大塚山古墳 長崎県壱岐市芦辺町深江栄触

原の辻遺跡から一支国博物館へ向かう途中に大塚山古墳へ立ち寄った。(先に博物館へ行っていればよかったことは前回書いたとおり) 

県道から博物館へ右折し、250mほど進んで右への林道に入り、さらに林道十字路を右折して登って行った先にあった。林道に駐車スペースは無い。

 

最後の上りは階段状。

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森の中に円墳があった。

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壱岐で最も古い古墳とのこと。

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長崎県指定史跡 大塚山古墳
昭和62年(1987)3月3日指定
所在地:壱岐市芦辺町深江栄触清水504番地3
指定面積:400㎡

古墳とは、古墳時代(4世紀~7世紀頃)に造営された小高い墳丘を持つ墓のことで、一般的には有力者を葬ったとされている。基本的な形態は円墳・方墳・前方後円墳などであるがここにある古墳は山頂部を活用した円墳に属する。
この古墳は、標高74mの頂上部にあり、竪穴系横口敷石室を持つ。5世紀後半に築造されたものと考えられている。数多く残る壱岐の古墳の中で築造時期が最古のものとされ、竪穴式石室(4世紀~5世紀前半)から横穴式石室(5世紀後半~7世紀)への移行過程を示すものとして学問的にも貴重なものである。
江戸時代安政2年(1855)2月27日に壱岐安国寺の観翁白華(びゃっけ)和尚により調査が行われており、発見の経緯を記した古文書と、石室直上の大石の上から発見された須恵器のハソウが昭和57年(1982)に所有者によって公開された。なお「大塚山」の名称は白華和尚が名付けたものであり、土地の人は寺山と呼んでいる。同年8月に壱岐国研究会による古墳の石室実測調査が行われ、昭和61年(1986)夏に墳丘の規模や石室の構築状況などについての補完調査を行っている。
この古墳の規模は、直径14m、高さ2mの円墳で、墳丘は山頂部を竪穴状に掘り込んで石室を構築している。その掘り込みに合わせるように裏込めに大小の礫を用いて盛土したと考えられる。盛土の状況は、石室を覆う程度のものであったと推定される。横口部には袖石がなく、一枚の板石を垂直に立てており、前面にはやや外広がりの側壁が構築されている。
南西に開口した石室は前幅1.18m、奥幅1.28m、奥行き3.96mの多いさを持ち、奥及び左右の壁は厚み12㎝ほどの玄武岩の板石を小口積みにしている。壁面の一部にはベンガラが残っており、本来は全面に塗布されていたと思われる。
出土品は、安政2年に掘り出された須恵器の小型のハソウと、昭和61年に石室前面の墳丘上から表採された鉄器2点(1点は蕨手刀子の把の部分)しかない。
壱岐島内には約260基の古墳が現存する。壱岐中央部に比較的密集しているが、大塚山周辺は古墳が少ない。また巨石古墳については皆無である。その理由として、弥生時代の中心集落であった原の辻集落が終息後、一時的にこの周辺に有力豪族が存在したが、6世紀後半に壱岐島中央部に強大な勢力が移っていったのかも知れない。だが確証に乏しく、今後の研究を待つこと大であるが、この古墳が壱岐島内の歴史研究の上で大きな役割を果たすことは間違いない。
平成19年3月 長崎県教育委員会 壱岐市教育委員会

 

説明板の後ろが開口部。

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覗いた先に玄室があった。 

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巨石は使わず、板石を整然と積む。 

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中に入らせていただいて奥壁を。 

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フラッシュで。

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中央に赤い彩色(ベンガラ)が残っている。 天井は後補。

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こちらの「壱岐の自然と文化遺産研究保存会」さんのサイトは古墳についても詳しいが、すぐ西側の安国寺にある「座禅石」が大塚山古墳の天井石だったという説が紹介されていた。

http://www.ikishi.sakura.ne.jp/ankokuji.html

 

開口部を振り返って。 

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丘の頂上の立地だが、周囲を木々に囲まれていて眺望は無かった。

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帰り道。春は明るい並木道。

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