墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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勝本城跡 長崎県壱岐市勝本町坂本触

国史跡・勝本城跡は城山公園として整備されていた。 

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国史跡 勝本城跡
長崎県壱岐市勝本町(城山公園内)
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築城した出城で、国の史跡に指定されています。
壱岐島の最北端に位置する城山に、松浦鎮信(まつらしげのぶ:法印:平戸・壱岐領)が中心となり、有馬晴信(南島原日野江領)、大村喜前(大村領)、五島純玄(五島福江領)などの領主の協力によって、4か月の月日で天正19年(1591)に完成し、朝鮮半島に渡る兵士の食糧や武器などの補給を行う兵站基地の役割を果たしました。
現在、城山には御座所を取り囲む石垣や御座所に出入りする枡形の大手門跡など築城時の面影が残っており、天気がいい日には対馬島を望むことができます。 

 

丘を上がっていくと途中に諏訪で見た「御柱(おんばしら)」が。 

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壱岐が、諏訪出身の河合曽良の終焉の地という縁で、諏訪市から贈られた実物だった。

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上記の左の解説板。

曽良翁終焉の地に諏訪の御柱を贈る
この巨木は、平成22年の式年造営御柱大祭に諏訪大社上社本宮に建てられた御柱で、境内地に鎮座した御神木である。
平成28丙申年の大祭をもってその役目を終えたのを機に、諏訪に生まれ壱岐に客死した焦門十哲の一人曽良翁の終焉の地である姉妹都市壱岐市に御柱を建立することを企画し、諏訪大社に請うて、諏訪市がこの御柱を譲り受けた。
長野県無形民俗文化財「諏訪大社の御柱祭り」のシンボルである御柱を、壱岐市との末永い友好親善を願って、ここ勝本町城山の地に贈る。
平成28年7月9日 長野県諏訪市

 

斜面には桜が多く植わっている。春は見事だろう。

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頂上に近づくと、古い趣の石垣が現れた。 

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稲荷神社の鳥居をくぐって最後のひと登り。 

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虎口のような雰囲気の路。

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そこを登って振り返ると対馬が見えた。

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城山稲荷神社は天正20年(1592)、文禄の役の際に祀られた。

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参道正面側から。 

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祠の前の広場の一画に展望台があった。 

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勝本港の眺め。 

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石に刻まれた解説図。

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対馬の方向を望む。

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ズームすると、島の間に砂浜が。砂浜の後ろも海で、不思議な風景。

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さらにズームすると、対馬の北側の山々も見えた。

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白村江へ向かった人々も、元寇に散った人々も、秀吉の命に従った人々も、いろいろな思いで同じ眺めを見たのではないか。

 

城山公園の麓の街並み。

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前日は、大幸物産さんで豪華ランチをいただきました。ウニは地の物ではなかったですが(4月から)、大変おいしゅうございました!

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