墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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彼杵の古墳(ひさご塚) 長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷

唐津見学の後は嬉野温泉に泊まって翌日福岡から帰ったのですが、宿に行く前に県境またいで大村湾沿いの古墳に寄ってみました。長崎県本土の古墳はここが初めて。

 

高速(長崎自動車道)の「東そのぎ」ICを出てすぐの、道の駅の隣です。

(彼杵を「そのぎ」と読むの難し過ぎでは)

 

全長58.8mの前方後円墳。きれいに形が整えられています。

 

すぐ北側の国道が墳丘の裾をかすめています。

 

その説明板。

長崎県指定史跡 彼杵の古墳(ひさご塚)
昭和25年4月10日指定
指定理由:長崎県の代表的古墳で、規模も県内で最大級の前方後円墳である。
前方後円墳:全長58.8m、後円部直径37.7m、前方部最大幅18.5m、くびれ部幅11.0m、長軸の方向N-57度-W
埋葬施設:石棺系石室(古墳の埋葬施設のうち、その構造が大村湾地方に多い埋葬施設である箱式石棺に類似する小型石室。石室というより石棺に近いもの)2基
詳細は、石室模型の説明板を参照。
副葬品:青銅鏡、鉄剣、鉄製矢じり、鉄製小刀(刀子)、鉄製品(斧)、ガラス玉、まが玉
この古墳は、海岸に形成された砂礫丘の、標高1.5m程の所に築造されており、後円部は2段に築成されている。
県内最大級の前方後円墳で、5本の指に入る大きさである。5世紀の前半から中頃にかけて大村湾周辺地域を統治した首長の墓と考えられる。
長崎県教育委員会 東彼杵町教育委員会

 

周辺には、墳頂部に2基ある埋葬施設のレプリカが。

 

大きい方の1号石室(の蓋?)

1号石室
ひさご塚古墳では遺体を納めるために石室が後円部に2基発見されました。
1号石室は長さ約2.7m、幅約1.5m、深さ約0.5mで、ほとんで壊れていましたが、石棺系竪穴式石室であると考えられます。
石室の内側には赤い顔料が塗られ、鉄鏃(矢じり)ガラス製小玉、勾玉などが発見されました(歴史民俗資料館に展示中)
造られた時期は5世紀前半から中頃と考えられます。

 

開口部のある2号石室。

2号石室
2号石室は長さ約1.7m、幅約1.0m、深さ約1.0mで、1号石室の東隣につくられていました。遺体を納める主室部分と入口部分に分かれていて、石棺系横口石室の一種と考えられます。
この中からは銅鏡などが発見されました(歴史民俗資料館に展示中)
この2号石室は、1号石室より少し後の5世紀中頃以降に造られたと考えられます。

石室はそのまま埋め戻して保存してありますので、このレプリカを展示しています。天井部の構造は不明ですが、可能性のひとつとして木の板でふたをする構造として復原しました。

 

前方部左裾から。

墳丘に上がることはできません。

左(南)側、180mほどで大村湾なのですが、墳裾から海は望めませんでした。

 

隣接する東彼杵町歴史民俗資料館(入館料200円)の2階窓から。

 

被葬者について地元では、「神功皇后の三韓征伐の折りに武内宿禰の配下として従軍した武将の墓」との言い伝えがあるそうです。
過去2回調査が行われ、築造時期は5世紀始めと考えられているとのこと。

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