墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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今市大念寺古墳 島根県出雲市今市町

今市大念寺古墳は前回の出雲弥生の森博物館から西北西に1.5㎞程、山陰本線のすぐ北側にあります。

 

大念寺の本堂。その後ろが後円部で、左に前方部がつづく全長100mの前方後円墳。


「←古墳」の表示に従って、本堂に右側の小径を進みます。

 

開口部は後円部の先端側で、西南西向き。


詳しい説明板がありました。

大念寺古墳測量図
今市大念寺古墳は、出雲平野を一望に見渡す丘陵の先端に築造された古墳時代後期(6世紀中頃)の代表的な古墳です。付近には塚山古墳、地蔵山古墳、上塩冶築山古墳などの横穴式石室をもつ大型古墳が点在しています。
石室が開口したのは文政9年(1826)の大念寺の境内拡張によるもので、多数の副葬品が出土したと伝えられています。石室は奥室・前室・羨道からなり、奥室と前室にそれぞれ石棺を置いています。
昭和56~58年度に実施した保存修理工事に伴う発掘調査によって、墳丘の構造がかなり明らかになっています。石室の羨道部付近の調査では、黒色粘砂層と褐色粘質土を交互にサンドイッチ状に盛る版築状盛土とよばれる高度な土木工事を行い、墳丘が崩れないように固くたたきしめて築かれているほか、石室のすぐ上には小さな礫が敷き詰められ、浸透した雨水が石室に入らないように工夫されています。また、北側滑落断面の調査では、後円部を築いた後に前方部がつくられたことが明らかになっています。
石室の規模や副葬品の豪華さから見ても、この古墳には出雲西部全体を支配し、朝鮮半島などと交流をもった首長が葬られていると思われます。

版築状盛土(石室上部)
南西に開口している横穴式石室は、全長12.8mを測る壮大なものであり、内部には大小2個の石棺が置かれています。前室には組み合わせ式の石棺があったといわれていますが、現在では基底部を残すのみです。奥室には凝灰岩を加工して刳り抜いた家形石棺があり、横口部分には閉塞石を受ける刳り込みがあります。また、蓋には縄掛突起が6個ついています。

版築状盛土(墳丘北側)
墳丘北側の大部分は寺域拡張のために失われ、南側も墓地によりかなり削られていますが、東西に主軸を持つ全長約100mの前方後円墳です。後円部の高さ6m、前方部の高さは6~7mもあり、県内最大級の規模を有しています。外部施設としての葺石は存在しませんが、円筒埴輪の破片が認められます。

鉄斧・馬具の鏡板
現在副葬品の多くが散逸していますが、記録によれば金銅製履、金環、丸玉、大刀、槍身、斧頭、馬鐸、轡、鈴、雲珠、須恵器などが出土したとあります。大年寺に現存するものとしては鏡板、直刀残欠、須恵器の蓋坏などがあります。
平成13年(2001)3月 出雲市教育委員会 島根県教育委員会

 

実測図部分。

 

扉がありますが施錠はありません。

 

覗き込むと石棺が!

 

羨道の先に前室と奥室があり、前室にも石棺の底部分が残っています。

 

そして奥室へ。

 

直線がシャープな見事な家形石棺です。

 

その先の奥壁も見事。

 

奥室上部をフラッシュで。

 

石棺は片方の側面が開口部が。

 

石棺内の様子。

 

磨いた直後のような平滑な面。

 

中から外を。

 

石棺の外へ出て。開口部の脇に「閉塞石を受ける刳り込み」が写っています。


奥室の石棺はぎりぎりに入っていて、奥壁全容を撮るのは困難でした。

 

奥壁を石棺の隙間。

奥壁を背にして。

 

逆サイドの側壁と石棺との間。

 

奥室側からの前室。


外へ出ると南側には山陰本線の高架。

 

後円部南側の様子です。