前回の貞丸2号墳を見た後は、南の大日堂の境内にある貞丸古墳へ。
お堂の左に、説明板と墳丘が。
2号墳と一緒の説明板。
広島県史跡 貞丸古墳
昭和24年(1949)10月28日指定
この古墳は、古墳時代後期に築かれ、埋葬施設は横穴式石室です。石室は、羨道がすでに破壊され玄室だけが残っている。玄室は奥行き4.5m、幅2m、高さ2.15mで、玄室内には流紋岩質凝灰岩製(産地は兵庫県高砂市竜山)くりぬき式家形石棺(長さ2.2m、幅1.1m、高さ0.7m)が一基あり、蓋石はない。
三角の楣石が、建物妻側のように見える開口部。玄室の石棺が見えています。
千数百年を経ても、水も漏らさぬ石棺。
奥壁向かって右側壁。
左側壁。
スマホカメラの広角で。
奥壁側から広角で。
いつものカメラで。
平成13年の芸予地震で被害を受け、復旧されたとのこと。
広島県史跡 貞丸古墳
貞丸古墳は、平成13年の芸予地震により被害を受け、石室が崩れるおそれがでてきました。
このため、平成16年に石室を守り安全に見学できるよう石室のずれを直すとともに、新しく、盛土や土留のための擁壁、石室に入るための階段の設置を行いました。
また、墳丘は元の形や大きさが分からないため、古墳を守るために最低限必要な形・大きさにしています。
この説明板は、修理前の古墳の様子及び修理の過程を写真や図で説明しています。
周辺の古墳の情報もありました。
沼田川流域の古墳
梅木平古墳、御年代古墳、●大日堂家形石棺(蓋)、●常盤神社家形石棺(蓋)、貞丸第2号古墳、●二本松神社家形石棺。●は竜山石が使われている石棺。
竜山石に触ってみよう
竜山石は兵庫県高砂市あたりでとれる石です。竜山石製の石棺は当時の政治の中心である近畿地方に多く見られますが、貞丸古墳周辺にも集中しており、このあたりの有力者と近畿の勢力とのつながりがうかがえます。
大日堂を背にして南、国道2号・尾原川の方向。
降りて振り返ると巨大な標柱がありました。