墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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二本松古墳(石棺) 広島県三原市本郷町南方二本松

前回の貞丸古墳からは500m程南西にある「二本松古墳」へ。

ほんごう古墳駐車場から徒歩16分の距離です。

 

南方神社の境内になりますが、入口前に車の停められるスペースもありました。

左は国道2号。古代から重要なルートだったのでしょう。

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「二本松古墳」の大きな看板の脇に、周辺古墳の説明板もあり。

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なかなか高さのある石段。国道からの比高差20mほど。

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いい感じに苔むしていますが、滑らないように手摺りを使って。

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上がった先の南方神社境内。この基壇が古墳の跡なのでしょうか。

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その左に石棺が安置されていました。

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石材は竜山石。墳丘の説明はありません。

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二本松古墳の石棺
平成2年11月17日 町指定重要文化財
石棺にはいろいろな種類があるが、この石棺は家型石棺である。
蓋石の頭部に平坦な面があり、四方に傾斜していて屋根の形を思わせていることからこの名前がついた。
蓋石の長辺に2個ずつの縄掛突起がついている。身(石棺本体)は側石と底石で合計5枚の板石を組み合わせて造った組合せ式である。
石材は流紋岩質凝灰岩で、兵庫県高砂市産の龍山石であることが判明しており、同じように龍山石で造られた石棺が、この沼田川流域で6個発見されている。
石棺は分解され、南方神社(宗長神社)拝殿の踏み石や手洗い鉢に使用していたが、昭和58年12月17日、境内に復元し安置した。
三原市教育委員会

 

厚めの板石。ぴったり組まれています。

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短辺側から。蓋石には左右に2対の縄掛け突起。

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反対側はスケルトン仕様でした。底板は側板が嵌るように丁寧に加工されていました。

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拝殿の後ろに本殿。二本松古墳の痕跡は判りませんでした。

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拝殿側からみた石棺。

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国道2号の南側から。

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そのあたりからの尾原川下流(北東)方向。

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国道に沿って駐車場に戻る途中に見えた、貞丸古墳の大標柱。

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御年代(みとしろ)古墳の開口部もチラリと(中央付近の屋根の上)

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