出雲墳行2日目、朝まだ暗い5時過ぎに出雲市内の宿を出て東へ車で1時間弱の岩舟古墳へ向かいました。
高速を降りて、広域農道へ入ったあたりで夜明け。


稲刈り後の平野にも陽が射して。


赤い瓦屋根の集落に入ると標柱も。車はもっと手前で停める必要があります。

矢印の先は…

上記の軽トラの右の先に古墳への表示がありました。有難い心遣いです。

軒の間を抜けて進みます。

階段道ですが、よく整備されていて安心感があります。

立派な標柱の後ろに、露出した石室が出現。

非常に整った形の”石屋”ですが、もとは盛土の中にあった石棺式石室です。

説明版完備。

国指定史跡 岩舟古墳
岩舟古墳は出雲地方で古墳文化の特色である「石棺式石室」の最も精美な典型例として昭和23年に史跡に指定されました。
墳丘はほとんど流出しているため、遺体を納めた玄室がよく観察できます。この時期一般的である横穴式石室が塊の石を数段積み上げて造るのに対し、石棺式石室の特徴は①石を板状に加工し組み合わせる②土で隠れてしまうはずの天井を屋根形に加工する③入り口は刳り抜いて造っていることです。出雲東部地域の首長たちが好んで採用した、他の地域ではみられない埋葬施設です。市内ではこの他に3基の石棺式室が確認されていますが、すべて安来平野を流れる飯梨川の西側に単独で立地しています。
この石室は当時貴重であった荒島石を用いて造られています。
奥壁が2枚、床石が3枚以上の他はすべて一枚の石でできています。玄室内は奥行約2m、幅約2.1m、高さ約1.7mです。2個の石棺が納められていたと伝えられていますが、現在は1個だけ存在します。天井は内面も屋根形に削られています。天井や壁にはノミなどの工具を使って丁寧に加工した痕跡が残っています。玄室の入り口の両脇には縦方向の溝がはしっていることから、玄室の前にはさらに板石を組んで、前にもう一つの部屋を造っていたと推定されます。
入口は屋根に対して平入りで、南向きに開口しています。
遺物は見つかっていませんが、石室の構造から7世紀前半ごろに築造されたもので、市内では塩津神社古墳・飯梨穴神古墳→岩舟古墳→若塚古墳という変遷が考えられています。
このようなことから、岩船古墳は畿内に対してかなりの独自性を保持していた出雲の後期古墳文化をうかがう貴重な資料です。
平成10年3月 安来市教育委員会
石棺式石室の図の部分。

開口部に正対します。

内部の様子。格子の間隔が狭くて、フラッシュが被ってしまいました。

開口部に向かって左側から。

天井石は寄棟屋根形。右の長辺に開口部。

集落に戻ってきて、美しい屋根に見とれました。

世界的に有名な足立美術館の2㎞北の立地です。セットで訪ねるとよいと思いますが、自分は美術館のほうは次の機会としました(まだ午前6時台であったし…)