墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

水泥南古墳 奈良県御所市古瀬

2023年3月12日には飛鳥ハーフマラソンに参加したのですが、前日に奈良入りした際にいくつかの古墳を巡りました。

 

最初に訪ねたのは、以前から訪問の機会をうかがっていた水泥南(みどろみなみ)古墳。

 

近鉄の飛鳥駅から4つ先の吉野口駅から歩きましたが(15分強)、その先の薬水駅のほうが近かったかも。

 

駅前の様子。


満開の梅に迎えられました。JR和歌山線の線路に沿って南へ。

 

進みだすと左手の南東方向に、一直線に見通せる谷地形。

地図を見ると国道309号が通るルートで、左の山裾に沿って保久良古墳やジオウ古墳があります。徒歩20分弱ですが次の機会としました。

 

ズームすると遠方の山影も。

 

そろそろかと思うところにT字路が。


T字路の看板。右上の行き止まりを目指します。

 

T字路を過ぎた先には立派な長屋門。

 

いったん通り過ぎてしまいましたが、こちらのお屋敷のご当主が、水泥南・北古墳を管理されておられるのでした。

敷地内には魅力的な「古墳カフェMidoro」があり、予約の電話をしたのですが営業日は日・月・火の3日間(2023年3月時点)でランチ叶わず。

https://www.narakko.jp/midoro/

 

しかし事前に連絡が取れて日時のタイミングも合ったことで、水泥古墳の石室を見せていただくことは叶いました。

 

長屋門の先に、水泥南古墳の墳丘が。

 

道路沿いに説明板も。

国指定史跡 水泥南古墳
現在地の水泥南古墳は、ここから北に約100mの西尾氏邸内にある水泥北古墳とあわせて、昭和36年に国史跡に指定された。
この南古墳は6世紀後葉に築造された、直径約25mの円墳とみられ、横穴式石室が南方向に開口している。石室の全長は約15m、玄室は長さ4.6m、幅2.4m、高さ2.6mである。玄室の床面には拳大の礫が敷き詰められていた。
石室内には、玄室と羨道にそれぞれ1基ずつの家形石棺が置かれている。玄室の石棺は二上山の凝灰岩を、羨道の石棺は竜山石(兵庫県加古川流域で産出する凝灰岩)を使っている。とくに注目されるのは、羨道にある石棺の蓋の縄掛け突起である。小口部の縄掛け突起には蓮華文(ハスの花をかたどった模様)があり、古墳文化と仏教文化の結合の一例として著名である。また、側面の縄掛け突起は削られて小さくされた痕跡が残っている。これは、追葬の時、石棺を石室内に搬入するに際し、縄掛け突起が羨道の側壁に当ったため、削ってしまったものであろう。
平成7年度の発掘調査で、高坏・𤭯(はそう)・台付𤭯などの土器(須恵器)や、羨道にある石棺内から金銅製の耳飾り(耳環)が出土した。また、発掘調査では石室内から墳丘の外に出て谷の方向に伸びる、古墳築造時の排水溝を検出している。
平成8年3月 御所市教育委員会

 

鍵が開く瞬間。

 

入ると目の前に、大きな家形石棺。

 

ここは羨道なのですが、目一杯に収まっています。

 

縄掛け突起の断面には蓮華文が浮き彫りに。古墳文化と仏教文化が重なっています!

 

そして、その背後の玄室にも石棺が。

 

ライトのおかげで、くっきり見えます。

 

手前側の石棺は、羨道壁との隙間が、広い方でも20㎝もないくらい。

長辺側の縄掛け突起は、石棺が置かれる際に削られているとのこと。

 

玄室の石棺も、縄掛け突起が削られているように見えます。

 

説明板には奥壁側から撮った写真も。

 

羨道の家形石棺は奥壁側の縄掛け突起に、よりくっきりと蓮華文が残っているそうです。

 

再度、開口部側の縄掛け突起を。

よく見ると、こちら側も縄をかけられるほどの突き出してはいないように見えますね。

 

下記は御所市と奈良県のサイト。奈良県のほうでは築造時期を7世紀前葉(北古墳は7世紀初頭)としていて、御所市の解説とは半世紀ほど違いがあるようです。

水泥古墳 | 御所市

水泥南古墳 | 奈良県歴史文化資源データベース | 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」

 

とし坊さんのサイトには水泥南古墳の羨道は幅1.6m・高さは推定1.7mとの情報がありました。

水泥南古墳 - とし坊の「大和の古墳探し」

 

次回、水泥北古墳につづく。