前回の続きの百合畑(ゆりはた)古墳園。
15号墳の南側、緩斜面下側に円墳があった。
回り込むと、見学路が開口部へ続いていた。
現地説明板。
百合畑18号墳
古墳時代の終わりごろ(6世紀末~7世紀初め)に造られたと考えられます。
円墳とよばれるもので、直径約31m、高さ約3mの墳丘をもっています。
埋葬施設は横穴式の石室で、ほぼ南に向いて設けられていましたが、現在は玄室だけがのこっています。
玄室の天井石は抜き取られてありませんでしたので、平成元年の修復の折りに補充されたものです。
玄門の上の巨石。
そこをくぐって玄室へ。
奥壁上部をフラッシュで。
奥壁前から振り返って。
上記の左側の袖石。
右側も。
側壁を。
開口部から南側。 さらに下り園路があった。
園路から振り返った18号墳。
降りたところに、生池城跡と笹塚古墳への案内板があった。
その先には谷戸風景。
古代の雰囲気。
生池城跡への登り口に「生池(なまいけ)」があった。
小さな祠が祀られている。
池名の由来はちょっと不気味。
生池(なまいけ)
この池は「なまいけ」と呼ばれ、水神社(旧式内社 勝本町布気触)の境外末社のひとつです・
「壱岐名勝図誌」(文久元年・1861年完成)に「近世までは三間方(約30㎡)ほどの広さの池があったが今は馬って名前だけがのこり、大きな松があり水神様の祭り場になっている。昔、川童子(カッパ)がここで人を生け捕りにしたので生池と呼ぶようになった」と書いております。
生池城(中世の山城・別名牛ヶ城)の用水のくみ場であったと思われます。
古墳園に戻って18号墳の西側園路を上る。18号墳の石室石材?
さらに上って16号墳を振り返る。
その説明板。
百合畑16号墳
古墳時代の終わりごろ(6世紀末~7世紀初め)に造られたと考えられます。
円墳とよばれるもので、直径約10m、高さ約1mほどの盛り土(墳丘)をもつものであったかと思われます。
遺体埋葬施設は墳丘中央部に、南北を主軸とする2個の石が平行して残るだけでした。
さらに上がって17号墳。
その説明板。
百合畑17号墳
古墳時代の終わりごろ(6世紀末~7世紀初め)に造られたと考えられます。
円墳とよばれるもので、直径約10m、高さ約1mほどの盛り土(墳丘)をもつものであったかと思われます。
遺体埋葬施設は横穴椎の石室で、西南の方向に設けられています。
斜面に顔を出していた石材。
古墳園で見られたのは13~18号墳の6基。額田大玉さんは園の外の数基もしっかり回られている。