千葉県の寺社、遺跡
岩名古墳を訪ねた後、少し時間があったので、スマホで「ふさの国ナビゲーション:ちば情報マップ・埋蔵文化財包蔵地」を調べると、野田市駅の東側に2か所のポイントが出たので行ってみた。 その場所は「もりのゆうえんち」の敷地内。 野田市駅は高架駅になっ…
印西市平賀学園台の舌状台地から西側の低地に降りて、佐倉市飯田の台地へ向かいます。 北側の眺め。右側が古墳のあった平賀の台地。 「中央排水路」にかかる橋から北側を。この先に西印旛沼(西部調整池)があって南に向きを変え、さらに新川・花見川を経由…
本佐倉(もとさくら)城跡見学のつづきです。 案内所でいただいた全体図。赤い線が見学路(一部閉鎖中) 東山馬場から入って、一旦北の虎口を見て、Ⅳ郭に戻って南の大堀切を通り、城山へ登ります。 城山の郭の直前で。標柱が立っていました。 今はただの広場…
こちらが国史跡・本佐倉城跡の案内所。 城跡も含め見学は無料で、A4の28頁の冊子やマップなど豊富な資料もいただけます。 室内の壁には沢山の解説。 広くはないですが、じっくり見ると小1時間かかってしまうのでは。 床面には、外郭を含めた広範囲の様子が航…
前回の根古谷の双体道祖神のあたりから北側の眺め。 目の前の島状の台地が国史跡・本佐倉城跡の核心部分になる。 写真を撮っていなかったので、トリートビューで。 上記をつきあたってちょっと左に、真新しい感じの説明板がありました。 大きな航空写真。下…
前回のつづきです。 鬼塚古墳から東に150mほど進んで振り返ったところ。 畑で仕事されている方々がおられますが、住宅地と畑地の境がくっきりしていました。 半分右に振り返った北方向は台地下へ降りる坂道。 のどかな景色が現われます。 その先の道路脇に庚…
前回のつづきの子安神社。 参道右側には出羽三山神社名が刻まれた石碑が林立。平成のものもある。 下記は千葉県立中央博物館のサイト。 「千葉県は全国的に見てもとりわけ出羽三山への信仰が盛んな地域として知られており、「男は一生に一度は三山(サンヤマ…
前回のつづきの小湊鉄道。 海士有木(あまありき)駅付近での後面展望。 行きの車窓で気になるものが見えたので、ここで下車した。降りたのは自分一人。 乗ってきた五井駅行きを見送る。 駅舎は有形登録文化財。 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/28…
前回のつづき。 法華経寺の山門(赤門)から50mほど北へ進んだ左手に、 遠寿院(荒行堂)がある。 その手前、埋めこまれた瓦は、魚の群れのようだった。 境内には見事な梅の古木がある。 文政年間、加賀支藩である越中富山十万石第九代藩主前田利幹(としつ…
前回のつづき。 中山法華経寺の山門(仁王門)からさらに100mほど、お休み処などの横を進むと、広い境内に出る。 そこにある解説板に、寺の詳しい歴史が記されていた。 日蓮宗大本山法華経寺正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院…
前回のつづき。 葛飾八幡宮参拝後、京成線の京成八幡(けいせいやわた)から2駅乗って京成中山で下車した。 駅を出るとすぐ参道。総門(黒門)は江戸初期の建立。平成21年からの解体修理で基礎や塗装が改められた。 扁額は寛政5年(1793)、掛川城主太田資順…
前回のつづき。 「八幡の藪知らず」の斜め前、国道14号から参道が始まる。 国道沿いの御由緒。 参道を横切る京成線。 拝殿までの参道はおよそ280mの一直線。 その途中にある随神門。 平成28年に塗り替えられて鮮やかな朱色をしているが、建立年代は幕末に遡…
3月上旬の土曜日、市川市の葛飾八幡宮や中山法華経寺などを参拝した。 JRの本八幡駅から最初に向かったのは「八幡の藪知らず」と呼ばれる、”一度入ったら出られない”と伝えられてきたエリア。 交通量の多い国道14号に面しているが、異界への入口が顔を出して…
今回も浦安の富士塚。 清瀧(せいりゅう)神社は東西線の浦安駅から徒歩5分の場所、境川の右岸に鎮座する。 一昨年は家族で初詣させていただいた。 社殿に向かって左側、鳥居の先に富士塚がある。 塚の前には一対の燈籠も。 こちらも登拝はできない。苔で麓…
昨年あたりから東京近辺の富士塚も巡っているが、地元浦安にも堂々とした富士塚があるので再訪した。 まずは猫実(ねこざね)の豊受神社。 参道は大通りとは並行に、鳥居は境川の方を向いている。 参道脇には大きく開いたような形のイチョウがある。 その説…
前回のつづき。 稲毛浅間神社がある傾斜面の東端に、愛新覚羅溥傑とその妻の嵯峨浩が新婚時代の半年を過ごした家、「千葉市ゆかりの家・いなげ」があった。 千葉街道側からは参道の左脇、京成稲毛からは稲毛浅間神社の臨時駐車場の先を左に入る。 トタンの壁…
前回のつづき。 旧神谷伝兵衛稲毛別荘から千葉街道に沿って北東に240mに稲毛浅間神社の参道がある。 鳥居は千葉街道を隔てた向かい側にも立つ。 かつて上記の鳥居は海中に立っていた。明治中期にジョルジュ・ビゴーが描いた海岸の様子が千葉県立美術館のコレ…
前回のつづき。 旧里見小学校からの帰り道、近くにある飯給駅に立ち寄った。 左の黒塀の向こうが… 世界一広いトイレ、「Toilet in Nature」by 藤本壮介。 フェンスで囲まれた200㎡の敷地中央に透明電話ボックスのような"施設”がある。女子トイレなので入口か…
前回のつづき。 次に向ったのは北小金駅周辺の古墳。 小金1号墳は北小金駅から300mほど南西、住宅街の中にある駐車場の奥にあった。 すぐ北側は常磐線の切り通し。 墳丘へは入れなかった。 昇寛さんのサイト松戸市小金1号墳 » 埼群古墳館によれば、小金1号…
今週のお題「年末年始の風景」 今年は家族全員で2016年1月1日になったと同時に地元浦安で初詣をした。 清瀧神社 浦安市堀江4-1-5 着いたのは午前0時半ごろ。結構な賑わい。 昔からの”イルミネーション” 待っている列に暖かいコーンポタージュが振舞われてい…
前回のつづき。この時の最後の訪問地。 少し場所を移動して、東西線の南・境川の南側、堀江地区へ行った。 江戸川の岸、堤防の外にある「堀江ドック」 漁船の船だまりだが、使われてなさそうな船も見受けられた。 堀江ドックから南東に300mほど、浦安市立南…
前回のつづき。 船圦緑道に面して稲荷神社の鳥居があった。 民家の間の参道を進んでいくと社殿が見えてきた。 立派な社殿、鳥居、そして玉垣。 20年ほど浦安市に住んできたが初めて訪れた。夏季五輪と同じタイミングで開催される盛大な浦安三社祭りにおいて…
浦安市の旧跡といえば郷土博物館やフラワー通りが「メジャー」だが、日曜日の午後に「ちょっとマイナー」な旧跡を巡った。 まずは浦安市当代島(字名)から。市川市との境で旧江戸川に面している。当代島水門のある場所で堤防から川面に降りれるようになって…
前々回のつづき。 常陸風土記の丘の駐車場にあった石岡市の観光案内図(下が北) 現在地は右下で中央が石岡の街、恋瀬川河口付近に舟塚山古墳がある。 地図にはまだ、石岡駅から東に向かう鹿島鉄道が描かれたままだった。8年前の2007年4月1日で廃止。(直前…
吉高の大桜を見た後、近くの印旛日本医大駅のそばにある重文の茅葺寺社、栄福寺薬師堂(室町時代中期建立)を見に行った。 印旛中央公園から駅までは3kmほど、駅から栄福寺までは1kmぐらい。 お寺の前に駐車できるスペースはあるが、直前の道は車一台やっと…
4/12の日曜日、吉高の大桜を見に行った。 東関東自動車道の佐倉ICで降りて北上。佐倉の街を抜けて西印旛沼の東端を上がり印旛沼郵便局で右折すると、臨時駐車場のある印旛中央公園に着く。 広い公園の臨時駐車場に、おそらく数百台の車が停められていた。 こ…
前々回のつづき。 ユーカリが丘線のループ内エリアを彷徨って再び井野駅に出た。 八千代台の店でのipad修理はとっくに終わっている時間だったので店に戻ろうとも思ったが、ちょっと物足りない感があったので、「ふさの国」で井野駅の南側に表示されていた「…
前回のつづき。 八社大神にお参りしたあと、ユーカリが丘線のループ内の「里山エリア」へ来た道を戻る。 千葉県文化財ナビゲーション「ふさの国」を見ると、井野松山1号墳という円墳が台地の東側に記されているので、そこを目指した。 「ふさの国」の地図に…
前回のつづき。 梵天塚バス停から北方向に向かって歩くと、周囲が住宅地から里山の風景に変わった。こちらは農家の入口。道の左側、集めた落ち葉を燃した跡から、焚き火の残り香が漂っていた。 その入口の立木に縛り付けてあった藁細工。小さな蛇のようなの…
前回のつづき(正確にはその直前) 市原埋文センターから大厩二子塚古墳へ行く道すがら、大きな土盛のある公園に出くわし思わず車を停めた。 入口には「高呂塚公園」とあった。下記は市原市のHPより。 公園の中央にある丘はコーロ塚と呼ばれ、デーデッポ(…