墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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常陸風土記の丘 染谷古墳群 茨城県石岡市 

前々回のつづき。

常陸風土記の丘の駐車場にあった石岡市の観光案内図(下が北)

現在地は右下で中央が石岡の街、恋瀬川河口付近に舟塚山古墳がある。

地図にはまだ、石岡駅から東に向かう鹿島鉄道が描かれたままだった。8年前の2007年4月1日で廃止。(直前に家族で乗りに来ていた)

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地図の右上から左下に常盤高速道が太い線で描かれているが、中央やや下の国分尼寺跡付近での建設工事の際に古代(奈良~平安初期)常陸国の官営工房跡「鹿の子遺跡」が発掘され、常陸風土記の丘の史跡公園に建物群が復元されている。

 

風土記の丘には、上記以外の時代、縄文時代から江戸時代後期までの建物の復元展示もある。

駐車場からの入口は間口16間の「旧内田家 長屋門(江戸後期)」で、門をくぐると曲屋の「旧坂家住宅(江戸後期)」がある。

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お座敷部分はお蕎麦屋さん。

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以下はいただいたパンフより。

土間前面に馬家を接続し、平面壁のL字型をなす民家は曲屋と呼ばれています。曲屋は、主に岩手県南部地方と茨城県に多く見られ、県内の代表的な民家形式の一つです。移築復元した曲屋・旧坂家は江戸時代の名主で、茅葺屋根の軒付の「しまかけ」などに、その威風を伝えています。

 

美しい軒付(これまでこの部分を軒下と書いていましたが軒付けと呼ぶそうです)

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家の裏へ進み道路を渡ろうとしたら、なんとそこに古墳のサインがあった。

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説明板があった。

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染谷古墳群 石岡市大字染谷

染谷古墳群は、市の北西部、龍神山麓に広がる古墳群で、現在までに32基が確認されています。そのほとんどは、径10~30mの円墳であると考えられていましたが、近年の発掘調査によって当時、方墳も造られていたことが分かりました。

この方墳の被葬者は、龍神山付近で採取することができる雲母片岩という石材を、箱形に組み合わせて作った石棺式石室に葬られたようです。このような方墳は、前方後円墳がもう造られなくなった古墳時代の終わり頃に(7世紀頃)、県内で多く築造されます。

染谷古墳群は、市内における古墳時代最後の豪族たちの墓域だったといえるでしょう。

平成9年7月 石岡市教育委員会 

 

林の中に入ると土の盛り上がりがいくつか見られたが、ひざ下を露出させた格好で来てしまったので藪の中を歩くのは断念した。

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金山池にかかる橋をわたって公園エリアへ向かう。 

橋の上から見た、しだれ桜の並木道。

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満開の様子は下記で。

お花見スポットガイド2015-桜の名所と開花情報- | 石岡市公式ホームページ

 

こちらはスカシユリのエリア。6月上旬が見頃らしい。

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こちらは大賀ハスのエリア。7月中旬~8月中旬。

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橋をわたった先にある石のモニュメント。

手前が古代、次が中世、奥が現代を表しているそう。

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下記の会津民家は無料エリア。中にも上がれる。

福島県会津郡下郷町にあった旧佐藤家。

移築復元した佐藤家は江戸時代、小松川の肝煎(名主)の家で、南会津において、地域の貴重な文化遺産と言える構造物といえます。

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門のエリアから少し上ると、史跡公園有料エリアの入口になる。大人310円。

入口前の電話ボックスも茅葺きだった

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つづく。