墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

豊受神社・富士塚 左右天命弁財天 千葉県浦安市猫実

昨年あたりから東京近辺の富士塚も巡っているが、地元浦安にも堂々とした富士塚があるので再訪した。

 

まずは猫実(ねこざね)の豊受神社。

 

参道は大通りとは並行に、鳥居は境川の方を向いている。

 

参道脇には大きく開いたような形のイチョウがある。

 

その説明板。

大銀杏(おおいちょう)
この大銀杏は、村の人が境川河口を流れていた小さな木を拾いあげ、豊受神社の境内に植えたものといわれています。その後、この木は順調に成長し、数百年を経た今日も枝葉が繁茂しています。
平成6年(1994)の樹木調査では、明治40年(1907)頃、外周が3mほどの幹が高潮などの塩害によって枯れてしまい、そのまわりに生えていた萌芽枝が大きくなり、現在の株立ちになったことがわかりました。そして近年、現在の株立ちを維持するため、樹木医による樹盛の回復作業も行われました。
この銀杏は雌樹で、幹は6またに分かれ、根の周囲は8m、高さ14mにも及び、ところどころに乳垂状の突起があります。春から夏にかけては緑の葉でおおわれ、秋には黄色い葉とギンナンの実がなり、特に秋風に散る黄色い葉の風情は見事なものです。
平成20年2月 浦安市教育委員会

 

拝殿の北側に浅間神社と溶岩の山が。 

 

残念ながら今は登れない。

 

山頂の祠をズームで。

 

西側に説明板。

 

大正12年に築かれた富士塚で、昭和初期まで富士講が盛んだったとのこと。

 富士塚
「富士塚」は、富士山の分霊を祀る在地の信仰施設として、富士山を模して造られたものです。浦安には、猫実の豊受神社、堀江の清龍神社、当代島の稲荷神社、三つの村の神社境内にそれぞれ富士塚があります。
古来より深い信仰を集めた富士山でしたが、江戸時代の中ごろから、江戸庶民の間で盛んに富士講が結成されるようになりました。それに伴い、富士山へお参りに行けない人でも、富士塚に登って祈願すれば、同様のご利益を得ることができると、各地にたくさんの富士塚が造られました。
豊受神社の富士塚が造られたのは、大正12年(1923)のことです。もともと豊受神社の一隅に浅間神社を祀った小さな山があり、氏子たちはその上に畑の土を盛り、墨石(ぼくせき:富士山の溶岩)を購入して、富士山をかたどった大きな山を築きあげました。山の中腹には中道まわりという道を造り、木花咲耶姫命を祀った石造りの浅間神社を頂上に安置しました。
大正から昭和の初めころまで、浦安の富士講は大変盛んで、毎年6月30日になると、神前に神楽が奉納され、境内は露店が立ち並んで賑いました。講の人たちは、井戸水で水行をとって体を浄めたあと、まっ白な行衣に白い帯を締め、手甲脚絆に菅笠をかぶった富士登山と同じ姿で、金剛杖と鈴を持ち、「六根清浄」と唱えながら、地元の浅間神社を参拝しました。そして、翌7月1日、富士山の山開きへと出発していきました。
このように盛況を極めた富士講でしたが、戦後は影をひそめていきました。
平成26年(2014)12月 浦安市教育委員会

 

南側から。 

 

天狗の像もある。

 

麓には三峰神社も。

 

豊受神社から大通りを渡って路地を入って左右天命弁財天へ。

以前大晦日の夜に豊受神社へお参りした際、案内の電灯に導かれて参拝した。

 

突き当たりの手水舎で左を向くと鳥居がある。

 

鳥居をくぐって祠にお参りした。

 

前回夜に来た時には気がつかなかったが、祠の周囲は池だった。

 

住宅地の中だが、深く掘られていた。

 

説明板がある。

猫実の弁天様
明治17年(1884)10月、川島という人が建立した。この弁天様は猫実の弁天様といい、左右天命をお祀りしてある。
弁天様は灰やのくるわに災害が起る前には、女の姿になって現われ、災害を未然に教えたり、大津波の襲来を予告したりして常に霊験あらたかなところから、信者が多く、特にくるわの人々は付近の守り神として崇拝している。
大正6年(1917)の大津波で堂宇が流失してしまったので、くるわの人達は浄財を持ち寄って弁天様を再建した。
堂宇の中には、行徳の後藤仏具師の作による弁財天が本尊として安置してある。
灰やのくるわの人々は、毎年1月、5月、9月の3日にお祭りをしている。
平成2年3月 浦安市教育委員会

 

左右天命とは?、灰やのくるわとは?と気になるところがあったが、ちょっと検索しただけではわからない。

 

平成23年の浦安市文化財審議委員会の議事録がヒットして、委員の発言に「この一帯に川島某さんの「貝灰工場」があった」ことや、「くるわの意味としては、遊郭的なものではなく、「寺うしろ」を指しているかもしれない」などと記されていて興味深かった。

https://www.city.urayasu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/144/bunkazai23_06.pdf

 

手水舎の後ろの三地蔵。 

 

地蔵の前から来た道を振り返って。