墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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愛宕塚古墳(愛宕館跡) 茨城県小美玉市下玉里

大平戸平3号墳・4号墳を見てから、その東隣の愛宕塚古墳へ。

 

西側からは繁る樹木で墳丘の様子はわかりにくいですが

 

道路に沿って回り込んでいくと、予想を超えたその高さ。

 

立派な墳丘、しかも前方後円墳!

 

説明板も完備。

 

帆立貝形ですが全長60m、後円部径は50m・高さ10mもあります。

愛宕塚古墳(あたごつかこふん)
愛宕塚古墳は、墳丘長約60m、小さい前方部を持つ前方後円墳です。平面形がホタテガイに似ていることから、帆立貝形古墳と分類されています。 
昭和60年に茨城大学、平成15年には、明治大学によって測量調査が実施され、古墳の規模や形態などが明らかになりました。規模は、後円部径約50m、同高約10m、前方部残存長約10m、同高約2.5mであり、前方部が後円部に対し非常に小さいことが分かります。後円部中段には、テラス、墳丘の外側には、20m前後の周溝が廻っていると考えられています。発掘調査歴はありませんが、墳丘から採集された円筒埴輪から6世紀に築造されたと推定されています。
墳頂部には、火伏せ・防火に霊験のある愛宕神社が鎮座しており、古墳名の由来になっています。また、墳丘には、モチノキ、シイノキ、タブノキなどの樹叢が形成されています。その中でもタブノキの大きく枝を広げた姿は神秘的でもあります。「愛宕神社の樹叢」は小美玉市指定文化財(天然記念物)となっています。 
平成25年3月 小美玉市教育委員会 

 

実測図部分。前方部が一部崩れているようで細く、帆立貝っぽくはないですね。

 

室町期には戦場になったそう。

玉里八館の一つ 愛宕館跡 
下玉里平1471~2
ここより北東低地の大井戸は、古代から中世にかけて大枝ノ郷(津)と呼ばれ産業・軍事・交通の要地であった。この愛宕山古墳を中心として大枝ノ郷を守る要衝として愛宕館があったと伝えられる。
大枝ノ郷をめぐっては戦国の天正年間に至るまで、何回かの戦争が起こってる。特に、南北朝時代の延元元年(1336)には北朝方の佐竹義春等の軍と南朝方の春日顕国・楠木家(瓜連城主)等の軍が交戦した大枝の戦いの主戦場となった。愛宕神社もこの兵火に焼かれたという。
玉里村教育委員会 玉里村文化財検討委員会

 

右が後円部、左が前方部。

 

 

墳頂の愛宕神社への石段が整備されています。

 

こちらが愛宕神社。

 

後円部裾近くには、パワフルな巨木。説明板によればタブノキ(市指定天然記念物)

 

どうしてこんなところで水平に枝分かれしたのでしょう。王座のよう。

 

後円部から、小さな前方部側。

 

先端が盛り上がるように残っています。

 

そこから振り返った後円部。

 

前方部右裾から。奥が後円部。

 

石段の参道は、台地下からも続いていました。ちょっと荒れ気味。

2025年12月下旬訪問