前回のつづきの小湊鉄道。
海士有木(あまありき)駅付近での後面展望。
行きの車窓で気になるものが見えたので、ここで下車した。降りたのは自分一人。
乗ってきた五井駅行きを見送る。
駅舎は有形登録文化財。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/285656
ポストの脇に駅舎の説明板が。
国登録有形文化財(建造物)小湊鉄道駅舎群等
海士有木駅本屋
開業当初からの駅舎のうちの一つで、建築は大正14年頃とみられ、設計・施工は鹿島組(現鹿島建設株式会社)によるものです。木造平屋の寄棟造で屋根は瓦葺、外観は洋風下見板張りです。待合室の出札口や手荷物扱口カウンター、東側壁際のベンチは当初からのものです。昭和7年頃に北側に一間半ほどの庇を増築し、3畳の和室を4畳半にするなどの増改築を行っていますが、待合室と事務室の大部分に大きな変更はなく、駅舎外観は開業当初からのたたずまいをよく伝えています。
駅前の看板には「こどもの国」への道筋が書いてあった。グーグルマップで見ると徒歩20分。
畑や住宅の間を抜けていくと目的地に着いた。
すぐ脇に踏み切り。
踏切側から。車窓から見た土盛りだった。
反対側に回り込むと石段と鳥居が。
立地は大宮神社の境内。
大宮神社の拝殿。
参拝後にさきほどの土盛りへ。
頂の石碑。富士塚なのだろう。
「ふさの国文化財ナビゲーション」には記号はついていなかった。
あとで調べると、下記の方のブログに、明治40年(1907)築の富士塚とあった。高さ4m、築造講は山包講とも。
http://fujisan60679.web.fc2.com/chiba-keiyo-c.html
ほかにも市原市の富士塚が40基以上紹介されて、数の多さに驚いた。
頂から振り返って。
反対側、北東側の眺め。すぐ先に鉄道が通るが、中央やや左に信号機が写っている。
境内には遊具もあったが子どもの姿は無かった。
境内の南東側の素朴な踏み切り。
下り方向。
海士有木駅へ戻る。
その手前には、移転して建物だけになった病院があった。
海士有木駅の留置線。
二つ前の駅を出ると明かりがつく仕組み。
年季の入った看板。