墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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子安神社・子安古墳~諏方神社 千葉県千葉市花見川区畑町~長作町

前回のつづきの子安神社。 

 

 

参道右側には出羽三山神社名が刻まれた石碑が林立。平成のものもある。

 

下記は千葉県立中央博物館のサイト。

「千葉県は全国的に見てもとりわけ出羽三山への信仰が盛んな地域として知られており、「男は一生に一度は三山(サンヤマ)に行くもの」という意識が根強くある」のだそう。

https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/bonten/index.html

 

その先には墳丘のような富士塚が。

 

静かな境内。参拝して清々しい気持ちになった。

 

見事な桃の花が満開。

 

神楽殿がカフェになっていて、非常に気持ちよさそうだった(11時~16時:休業日不明) このときは終了間際。

 

子安神社の御祭神は櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)

Wikiepdiaをみると「子安神社」は関東では茨城県に3社、千葉県に5社、東京都に2社、神奈川県に1社あるとのこと。

横浜の近くには新子安駅(京浜東北線・京急線)、子安駅(京急線)があるが、こちらは地名(橘樹郡子安村)で近くに神社は見当たらない。

 

この千葉市花見川区畑町の子安神社では室町時代を起源とする「湯立ての神事」の祭(大釜に熊笹を浸した湯を参拝者に振り掛け、一年の無病息災を願う)があるが、訪ねた前の日(2月28日)に開催されたようだった。

https://www.chibacity-ta.or.jp/events/event/koyasu_jinja_yutate

 

さらに調べると2021年の11月上旬には、6年に一度の 下総三山の七年祭り(しもうさみやまのしちねんまつり:船橋市三山にある二宮神社を中心とした4市9神社が参加。安産の御礼と祈願の大祭)が行われるそうだ。

http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1050755550.html

 

拝殿の右手に裏の古墳へ続く路があった。 

 

摂社末社が続く奥に鳥居が。

 

墳丘の一部に三峰神社が祀られる。

 

解説板もあった。

子安古墳
花見川沿岸 子安神社の附近一帯を畑町宮脇遺跡と云う。このお山は今を遡ること凡そ1300年の昔、桓武天皇の延暦年間にこの辺を支配する豪族によって作られた子安古墳のお山をご神体として、五穀豊穣の神として鎮齋されました。

 

延暦年間とすれば8世紀(平安初期)に築かれた墳丘か。

 

墳丘の様子。

 

鳥居右側にも祠の跡があった。

 

右が墳丘、左が本殿裏。

 

一旦境内を出て、敷地に沿って北側に回る。巨木の後ろに子安古墳がある。 

 

上記の右の道を西へ進む。「ちば情報マップ・文化財包蔵地(旧ふさの国ナビゲーション)」を見ると、左手側の社叢の中にさらに2基が残っているようだった。

 

進んでいくと右手側が開けた。

 

神社敷地の北西角。

 

その背面の墓地の端から、幕張新都市方向(手ブレしました)

 

ズームで。

 

墓地側から、神社境内への小径(?)の先に鳥居があったので入ってみた。

 

水神宮。

 

昭和49年にこちらに遷座されている。

 

鳥居前の路を辿ると拝殿前に戻った。そこから振り返って。

 

子安神社からの帰路、どの駅へも徒歩30分程だったので、来た方向とは逆の実籾駅を目指してみた。

 

神社から北へ丘を降りて花見川を渡る。下流方向。

 

上流方向。20kmほど遡ると印旛沼になる。

 

いろいろな方向へつながる高圧線。

 

田んぼの先の丘の上に鳥居が見えた。 

 

地図で見ると諏方神社。墳丘的な匂いがするので寄ってみることに。 

 

花見川沿いは車の通らない散歩道。

 

植わっているのは桜なので、見事なトンネルになるのでしょう。

再訪しないと。

 

河津桜は満開でした。

 

桜の道を左折して、鳥居のある丘へ。

 

見た目は大きな後円部。

 

裾部の鳥居。

 

地理院地図をみると比高差18mほど。

 

丘上の鳥居。

 

振り返った眺め。花見川が削った平地が広がる。

左(西)から来た川はここで流路を南に変えて、中央左奥の検見川浜で東京湾に注ぐ。

 

上記の左寄り。中央左奥の木立が子安神社、子安古墳群がある場所。

花見川の交通を見渡せるポイント(こちら側も)

 

境内は南に延びる舌状台地にあった。

 

参道は土の道。

 

参拝して振り返って。

 

上記の鳥居をズームで。 

 

社殿の裏手の回ると、墳丘が隠れていそうな草むらだったが、立ち入り禁止の札が。

 

そこから振り返った社殿。

 

社殿西側の谷戸は住宅で埋め尽くされていた。

 

いい雰囲気の坂道が。

 

坂下から振り返って。

 

谷戸中央の暗渠を渡り、台地上へ上がって実籾駅から帰宅した。