墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

妙見神社 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉

前回の根古谷の双体道祖神のあたりから北側の眺め。

目の前の島状の台地が国史跡・本佐倉城跡の核心部分になる。 

写真を撮っていなかったので、トリートビューで。

 

上記をつきあたってちょっと左に、真新しい感じの説明板がありました。

f:id:massneko:20210710200249p:plain

 

大きな航空写真。下の赤文字が現在地ですが、台地の向こう側(北)に左右に通る直線が京成本線。

f:id:massneko:20210710200310p:plain

国史跡 本佐倉城跡
本佐倉城跡は、下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し天正18年(1590)まで約100年間にわたり、関東有数の大名千葉氏の居城でした。城は、印幡浦に面する標高約36mの台地上に築かれ、東西約700m、南北約800m、面積35万㎡におよび城域の中に10の郭をもつ巨大城郭です。内郭群(Ⅰ~Ⅶ郭)と外郭群(Ⅷ~Ⅹ郭)によって構成されます、築城当時は内郭群の一部分程度の規模であったと考えられ、現在に残る城跡は戦国時代末の最も発達した姿です。
城の構造は、千葉県北部に広がる北総台地の特徴である、台地とその奥深くまで谷津が入る複雑に入り組んだ地形を利用し、台地を削り谷を埋め、空堀や土塁を巧みに配し郭と作った「土の城」です。
本佐倉城は現在に残る貴重な文化財として平成10年9月11日に国の史跡に指定されました。

 

地図には郭の位置も。

水色の水田は、城のあった時代は水面または沼地で、城は天然の要害だったことがわかります。

f:id:massneko:20210710200327p:plain

 

説明板の左に妙見神社参道が。 

f:id:massneko:20210710200132p:plain

 

奥の石段のすぐ上に社殿がありましたが、注連縄で結界されているようにみえたのでここから参拝。

f:id:massneko:20210710200154p:plain

 

鳥居の手前にあった解説板。

f:id:massneko:20210710200218p:plain

この妙見神社はもともと奥ノ山の妙見宮跡に建っていたものです。いつの頃か、この場所に移されました。
妙見様は千葉氏の守護神であり、千葉氏の城のある所には必ずといっていいほど妙見神社が存在します。

 

鳥居から左に城跡への道が続きますが少々草むしていたので、冬季に再訪しようと思いました。

 

が、城跡を左手にみながら道を先に進むと、ガイダンスセンターの建物があり、10数人の人が集まっていたのでちょっと立ち寄ってみました。

f:id:massneko:20210710200431p:plain

この日は第4土曜日でしたが、本佐倉城跡のボランティアガイドの方たちが最も多く待機される日だそうで、しかも10時スタートの5分前というタイミング。

ということでこ、とあるガイドの方にマンツーマンで案内していただきました。

次回につづく。