墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

岡豊山歴史公園(岡豊城跡) 高知県南国市岡豊町

前回の高知県立歴史民俗資料館見学後は、すぐ南側の岡豊(おこう)城跡へも登ってみました。

 

階段の前には、長宗我部元親・飛翔の像。

 

最初に上がった場所は、二ノ段。

 

南東方面が見渡せる、眺めのよいところです。

 

説明板あり。

東方面説明板
二ノ段から見える眺めは、土佐の国の中でも美しく豊かな地域であり、「土佐のまほろば」と言われ、史跡・文化財が数多く残された歴史上重要な一帯です。
ここからは、土佐で最も古い寺院跡の一つとされる比江廃寺跡、土佐国分寺跡、土佐国府跡などを望むことができます。また、北方には小蓮古墳、舟岩古墳群、南方には田村遺跡群などもあり、土佐の歴史ゾーンとして位置付けられています。
比江廃寺跡
白鳳時代に建てられた寺院跡で、現地に残る塔跡は国の史跡に指定されています。法隆寺と同じ伽藍の配置であったと考えられ、県下では最古の寺院の一つと考えられています。
土佐国分寺跡
土佐国分寺跡は、現在も四国霊場第29番札所国分寺として、受け継がれています。発掘調査では、礎石建物跡や柱穴、そして寺を囲む築地跡も発見されています。また、平安時代前期の梵鐘と現金堂(1588年長宗我部元親再建)などが国の重要文化財に指定されています。
土佐国府跡
国府跡とは、古代におかれた地方の行政官庁(国衙)がある都市の跡です。土佐国衙は土佐一国を治め、延長8年(930)には、紀貫之が国司として迎えられています。

 

中央から左の木立が土佐国分寺。中央奥から右に流れ込んでいるのが国分川。

 

二ノ段から堀切を越えて、最高所の詰(つめ)へ。

 

標高100m弱、岡豊(おこう)山の頂部です。


詰は岡豊城跡の中心となる曲輪で、標高97mの岡豊山の頂上部にあります。一辺40mのほぼ三角形状で、東には二ノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を取り巻くように造られています。
発掘調査では、石敷遺構(建物の基礎)と礎石建物跡が発見されました。また、地鎮の遺構や溜井(雨水を溜めた井戸)とみられる土坑(穴)、柱穴なども発見されています。西部には土塁が残されていますが、築城当時は周囲に巡らされていたものと考えられます。出土遺物には天正三年の年号のある瓦をはじめ、土師質土器、陶磁器、銭貨、懸仏などがあります。

 

南側に広がる雄大な景色。海との間に、島のように低い丘陵が展開します。

 

南西方向に高知中心市街。

この場所には、中世に城が築かれる前は古墳があったに違いないと実感(憶測)しました。

 

丘の南西斜面には長宗我部氏岡豊城跡の大きな碑。

 

資料館のサイトによれば、岡豊城の築城年代は不明ですが15世紀後半から16世紀後葉(天正16年:1588部年頃)まで存続したものと考えられているそうです。

国史跡・岡豊城跡 / 高知県立歴史民俗資料館[Tel.088-862-2211]

 

丘の北側斜面。左奥に資料館建物。