本佐倉城跡から水田を挟んで東、台地上への坂道が肥前坂という名であることをガイドの方に教わった。
その水田を南側から。左が本佐倉城跡、右の台地上に酒々井の街がある。
台地の上と下をむすぶ坂道のひとつが肥前坂。
左が肥前坂。車高がないと擦ります。
肥前坂の途中から眺めた本佐倉城跡。中央やや右奥に楯の列、その左上平面が城山になります。
途中から斜度を増す肥前坂。
坂上の様子。
上記の左は酒々井小学校。少年たちが野球の練習に励んでいました。
このあたりには千葉氏の家臣の「肥前屋敷(原肥前守、或いは青柳肥前守)」があったので、坂名になったようです。
Wikipediaの「九州の千葉氏」の項によれば、元寇の際に九州防衛に派遣され肥前国に土着した千葉氏を”肥前千葉氏”というとのこと。
その後の家督争いなどで、歴史の主軸にはならなかったようですが、源氏や平氏より累代を重ねているのでは?