墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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中塚古墳・西塚古墳・糠塚古墳(脇袋古墳群) 福井県三方上中郡若狭町

前回の上ノ塚古墳後円部から見えていた中塚古墳の竹藪(中央奥)

 

南側の道路から見上げて。

下記は、前回エントリの脇袋古墳群の解説から。

中塚古墳(昭和10年12月24日 国史跡に指定)
全長約60m、高さは6mほどあったといわれています。この古墳も西塚古墳と同じく南面する前方後円墳であり、他の二古墳と同様、盾形の周濠がめぐり、埴輪の存在も確認されています。5世紀代に造られた古墳です。
以上3基の前方後円墳のほか、円墳と思われる糠塚古墳、墳形未詳で埴輪と葺石を備えた上下の森古墳などが所在します。

 

北側の道路からの遠望。

上記でアプローチは諦めましたが、下記の方のサイトで反対(南)側に古墳の説明板やルートがあることを今知りました。

若狭国造膳氏の墓?脇袋古墳群と膳部山のある王家の谷には何が眠っているのか | こうづけのすけのふくい人生浪漫

 

一方で、上ノ塚古墳から西隣に見えていた西塚古墳(右の紅葉の木の後ろ)と糠塚古墳(左の屋根の肩の墳丘)

 

西塚古墳を南側から。目の前の小さな土盛りが残っている前方部で奥の小山が後円部。鉄道建設に向けた「土取り」で無残な姿に。

 

グーグルアースで見て取れる前方後円形。

 

現地解説板。

西塚古墳
現在は後円部と前方部の一部が残る5世紀後葉の全長74mの前方後円墳です。大陸からつながる海の道を通じて運ばれたとされる金製耳飾、鏡、金銅製帯金具、銀鈴、馬具など多彩な副葬品が発見されました。国史跡。

 

下記も前回エントリの解説板から、西塚古墳部分。

西塚古墳(昭和10年12月24日 国史跡に指定)
全長約74m、後円部径39m、前方部幅47m、高さは前方部が後円部よりやや低くなると推定される南面する前方後円墳であり、葺石・埴輪・盾形周濠を備えています。しかし、現在では、大正5年の鉄道敷設に伴う墳丘からの採土工事により、後円部と前方部の一部を残すのみとなりました。
主軸にほぼ直交する石室は竪穴式石室といわれましたが、実際は横穴式石室とみられます。この石室からは先のような多くの出土品が発見されました。
5世紀後葉に造られたこの古墳の被葬者は、日本書紀の記載と出土品の符合から、膳臣斑鳩その人ではないかともされています。
【主要出土遺物】(現在は宮内庁に保管されています)
須恵器 中国製神人画像鏡 仿製四獣鏡 武器(鉄剣 鉄鉾 鉄鏃) 武具(小札鋲留眉庇付冑 小札鋲留衝角付冑 頸甲 肩甲 横矧板鋲留短甲) 馬具(鉄地金銅張鏡板 同辻金具 同剣菱形杏葉) 農工具(鉄斧) 装身具(金銅製帯金具 銅鈴 銀鈴 金製垂飾付耳飾 佩砥:はいと 玉類)

 

小さな土盛りの上に大きな石碑。

 

削平された部分を進んで後円部へ。

 

残っている部分。

 

墳頂にも相対的に小さな石碑がありました。

 

右に標柱が立っているところが前方部。左の墳丘は隣り合う糠塚古墳です。

 

こちらも田んぼの中に残る、糠塚古墳。

 

畦道を通って近寄りましたが

 

墳頂は綱で囲まれていて上がれません。

 

下記リンクは、花園大考古学研究室が糠塚(ぬかづか)古墳が全長50m超の前方後円墳と推定したとの2021年9月の記事。

墳丘サイズや出土埴輪から、上ノ塚古墳、中塚古墳、西塚古墳他と同じ古代若狭国の首長の墓である可能性が高いそうで、調査では前方部と後円部の付け根とみられる斜面が見つかり、後円部の南側の裾では大量の埴輪の破片が発掘され、糠塚古墳は後円部径三31m・推定全長50~60mの前方後円墳であると断定されたとのこと。

全長50メートル超 前方後円墳 糠塚古墳 若狭町脇袋古墳群 :日刊県民福井Web

 

脇袋古墳群のある谷戸を西から遠望。

 

ズームすると上ノ塚古墳(中央)、西塚古墳(左)、糠塚古墳(中央右)、中塚古墳(その右奥の竹林)が写りました。

 

前回エントリの上ノ塚古墳を含めた脇袋古墳群の4基の前方後円墳の築造時期と大きさは下記のようになると思います。

 上ノ塚古墳 5世紀初め 全長100m
 西塚古墳 5世紀後葉 全長74m
 中塚古墳 5世紀末頃 全長72m
 糠塚古墳 5世紀末頃 全長50~60m